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《遠い昔、深夜放送が好きだった人たちへ贈る小説》間々田陽紀の世界

■好きな音楽、好きな映画、好きなサッカー、好きなモータースポーツなどをちりばめながら、気ままに小説(260作品)・作詞(506作品)を創作しています。ブログも創作も《Evergreen》な風景を描ければと思っています。

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小説短編集 【73】深夜放送ラプソディ(原稿用紙30枚)


※川崎はいつも通り喫茶店開店の準備のために階段を手摺につかまりながら、ゆっくりと降りて行った。40代前半で喫茶店を始めていた川崎は、昨年で70歳になっていた。店舗兼住宅である今の建物で、川崎の両親は長年古書店を営んでいた。
 
 そんな両親が突然互いの実家のある鹿児島へ帰ると言い出したのが、川崎が放送作家をしていた43歳の時だった。大学生時代から制作のアルバイトとしてラジオ局に出入りしていた時に、川崎は偶然当時ある番組のディレクターから番組の台本を書くように頼まれた。
 
 偶然の声掛けを切っ掛けに制作のアルバイトではなく放送作家としてラジオ局に出入りするようになった川崎は、大学卒業後はプロの放送作家として活動を始め出したのだった。もともと中学生時代から深夜放送が好きだったこともあって大学時代からラジオ局にアルバイトとして出入りするようになっていたが、川崎は詩を書くのも大好きだった。
 
 深夜放送を聴きながら詩作を続けていた川崎は物を書くことに初めから抵抗がなかったこともあり、ラジオ番組の台本を書くことにも無理なく対応できた。そんな川崎は大学卒業後はプロの放送作家として活動していたが、実は両親が突然古書店を閉めて田舎に帰ると言い出した時、川崎自身も色々な意味で不安定な立ち位置に悩んでいた。
 
 実は40代になってからの川崎には放送作家としての仕事の依頼が、年々減少してきていた。そんな所に両親が古書店を閉めると言い出したので、川崎は以前からずっと考えていた喫茶店をやってみようと考えた。もともと両親は古書店を継いで欲しいと思っていなかったこともあり、川崎の申し出を了解してくれた。
 
 川崎が40歳の時のラジオ局の番組制作現場は、それこそ川崎が大学生の頃の20年前とは様変わりしていた。川崎が得意としていた細部へも拘った台本をもとにした番組作りは、本当に少なくなってきていた。番組の進行表に簡単にメモ書きを加えたような台本で、番組制作が行われていたのだ・・・。


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小説短編集 【74】マイ・ララバイ・ソング(原稿用紙30枚)

※純一はメモリースティックに自身が高校生の時に夢中になって聴いていた《夜明けの子守歌》を保存して、従弟の家に向かっていた。今大学4年生になっていた純一には、高校入学早々登校拒否になってしまった原体験があった。そんな純一は幼い頃から一緒に遊んできた今高校生の従弟が、学校へ行けなくなっているという話を耳にした。
 
 一人っ子だった純一にとって高校生の従弟は、まるで弟のように可愛い存在だった。その従弟が学校へ行けない状態にあると聞いてから、とにかく1日でも早く顔を見に行こうと純一は考えていた。取り敢えず話し相手になるだけでも考えていたが、ひょっとして従弟も高校生の時の純一と同じように眠れない夜を過ごしているのではと純一は考えた。
 
 純一は高校生の時の不登校時、毎晩眠れない時間を過ごしていた。そんな純一は偶然ラジオから流れ出て来た楽曲に、一瞬で心を奪われたという不思議な体験をしていた。AKEMIと言う名のシンガーソングライターの楽曲である《夜明けの子守歌》を、眠れない高校生の純一は毎晩のように聴き続けた。
 
 それこそ薬に頼ろうかとまで考えいた純一だったが、この楽曲をリピートさせながら聴き続けていたら知らぬ間に深い眠りに就けるようになっていたのだった。今から思えば、胸を打つような気の利いた歌詞など見当たらない楽曲だった。だがとにかく耳障りの良いメロディに合わせて眠りなさいと繰り返すだけの楽曲だった。
 
 高校へ入学してすぐに、純一は不登校状態となってしまった。その時の自身の不安な心情を思い浮かべると、すぐにでも従弟の所へ行ってあげたいと考えていたのだ。ひょっとして従弟も高校生の純一と同じような精神状態に陥っているのではと考えると、純一はじっとしていることが出来なかった。
 
 高校へ入学した純一は、例えばイジメとか周囲からの影響で不登校になった訳ではなった。色々な面で《こんなはずではない》という囁き声が、自身の内から高校生の純一の耳元に届いてきたのだった。今から思えば当時の純一は、中学時代までの義務教育期間からの解放と言うスチュエーションに拘り過ぎていたのかもしれなかった・・・。


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