★4月13日(土)14(日)、下記作品が無料購読できます | 《遠い昔、深夜放送が好きだった人たちへ贈る小説》間々田陽紀の世界

《遠い昔、深夜放送が好きだった人たちへ贈る小説》間々田陽紀の世界

■好きな音楽、好きな映画、好きなサッカー、好きなモータースポーツなどをちりばめながら、気ままに小説(249作品)・作詞(506作品)を創作しています。ブログも創作も《Evergreen》な風景を描ければと思っています。

★Kindle 本 小説(amazon)販売中!

※Kindle 本 小説(amazon)販売中! 1冊100円

★4月6日(土)7(日)、下記作品が無料購読できます

小説短編集 【67】僕が反逆児だって?(原稿用紙30枚)


※理久は今から11月に行われる学園祭の本部に顔を出す予定だった。大学に入学して3回目の学園祭が3週間後に迫っていた。今回理久は個人的な企画でエントリーしたいと考えていた。理久は今までの2回の学園祭には、軽音楽部の部員として参加していた。
 
 理久は軽音楽部を大学2年生の時に退部していた。理由は伝統ある軽音楽部の閉鎖性だった。とにかく何十年も続けられてきた部活動を基本として、新しい取り組みには全て否定的だった。そん中で理久は他大学とのジョイントでバンド合戦を企画したのだったが、前例がないとのことで取り上げてもらえなかった。
 
 何となく軽音楽部の活動内容が自己満足の世界から逸脱できていないように感じられていた理久は、他大学との合同演奏会を参加バンドの合戦のようにして部外者の評論家たちに採点してもらう企画を起ち上げて、その運営を軽音楽部の部長に懇願したのだった。それに対する部長の反応と言えば、最初から最後まで冷淡だった。

 さして考えることもなく、ほとんどその場で理久の企画は部長から却下されたのだった。それだけでなく部長は理久の軽音楽部内での態度が、まさに反逆児そのものの態度だと非難した。正直理久としては新しいことへ挑戦したいと行動することをもって、反逆児と言うレッテルを貼られることに納得できなかった。

 もっとも確かに過去にも一度だけ、周囲から奇異の目でみられた経験が理久にはあった。高校時代に《本校の歴史》と言う企画でクラス参加していた文化祭の催しの中で、理久は高校の制服の歴史を担当した。そして高校での制服の歴史を調査してみて、理久は興味深い事実を知ることとなったのだ。

 今でこそ標準服という実に曖昧な位置づけの制服を生徒たちのほとんどが着ていたが、以前は制服が廃止され完全私服での登下校が認めれていた時代があったのだ。そのことを知った理久は、改めて標準服という制服の位置づけについて再確認した。その結果実は標準服は制服と違って強制力はないということを理久は知ったのだ・・・。


6700000000.jpeg

小説短編集 【68】街角グラフィティ(原稿用紙30枚) 

※・悠人は今日も大学を出て真っすぐにアパートに帰らずに不忍池の周囲をぶらついていた。大学4年生になっていた悠人は1年生の時から考え事がある時は、必ずと言っていいほど不忍池に来ていた。周囲にはそれなりに人並みはあるのだが、考え事をしている悠人には気になることはなかった。
 
 4年前上野にある芸術大学の美術学部に入学して油画を学んできていた悠人には、早くもその大学の卒業が迫ってきていた。そんな悠人の現在地は極めて不安定な状態にあった。それというのも大学卒業後の居場所が定まっていなかったのだ。
 
 こんなはずではなかったと心の何処かで叫んでいる悠人がいた。それこそ真っ白のキャンバスを前にして、悠人には筆を手にすることができない状態が続いていた。この4年間何度も訪れたある意味見慣れたはずの風景だったが、何となく今回だけは何処か今までのそれとは違うように悠人には思われていた。
 
 俗にいうスランプ状態に陥っていたが、その期間が長すぎたのだ。今までなら他のことに集中することで、気が付いたらスランプ状態を消し去ることが出来ていた。それが今回だけは何かに集中しようとするのだが、それが出来ない悠人がいた。
 
 4年前芸術大学の美術学部に入学した時には悠人は大学卒業の頃には、それなりに画家として歩み始めている自分の姿を思い描いていた。勿論周囲から画家として注目されているとは思ってはいなかったが、少なくともこのまま画を描き続けて行けば、それなりの風景が待っているはずだと考えていた。
 
 ところが現実的には、悠人には確たる手ごたえなど全く無かった。そんな中で大学の同級生たちの姿が、最近の悠人には目についって仕方なかった。少なくても今までは周囲のことなど気になることもなく、マイペースで画を描き続けて来ていた・・・。


6800000000.jpeg