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《遠い昔、深夜放送が好きだった人たちへ贈る小説》間々田陽紀の世界

■好きな音楽、好きな映画、好きなサッカー、好きなモータースポーツなどをちりばめながら、気ままに小説(244作品)・作詞(506作品)を創作しています。ブログも創作も《Evergreen》な風景を描ければと思っています。

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小説短編集 【53】ミルキーウェイって、何色?(原稿用紙30枚)


※♪さよならが言えないで何処までも歩いたね、この歌を歌っていた弘毅は、きっと今年も約束の場所に来ることはないだろう。沙羅は今年も独りで卒業した高校の文化祭に来ていた。4年前沙羅が見つめている体育館のステージで、弘毅がギターを弾き語りしながら歌った曲だった。
 
 弘毅がこの歌を選曲したのは、吉田拓郎が鹿児島出身だったからだった。正直4年前沙羅と恋人同士とクラスの中でも公認だった弘毅が、何でこんな悲しい別れ歌を歌うのだろうと思ったことを今でも沙羅は覚えていた。と同時にその疑問を最後まで弘毅にぶつけることは出来ないままだった。
 
 4年前同じ鹿児島の高校を卒業して東京の大学へ進学することが決まっていた弘毅は、毎年文化祭の日には高校へ戻って来ると沙羅に約束した。高校卒業後鹿児島市内でパン屋を営んでいた実家を手伝うことが決まっていた沙羅は、弘毅のその言葉を信じた。しかし弘毅が高校の文化祭に顔を出すことは、この4年間一度もなかった。確かなことと言えば沙羅の弘毅への恋模様は、完全に過去完了形になってしまっていたことだった。
 
 沙羅が高校へ入学した時には、沙羅も卒業したら地元の音楽学校へ進学するつもりだった。だが沙羅の父親が突然交通事故にあって一生寝たきりの重たい後遺症を背負い込んでしまった。その日から実家のパン屋は母親一人で切り盛りするようになっていた。
 
 正直誰が見ても母親一人で父親の看病とパン屋の仕事の両方を、やりくりしていくのは無理な話だった。沙羅の出した結論は早かった。一人で動き回って疲労困憊していた母親に、沙羅は高校を卒業したらパン屋の仕事を手伝うと伝えた。
 
 何より沙羅が自分の気持ちをベッドに寝ているだけで話すことにも不自由だった父親の目から一筋の涙がこぼれ落ちたことを沙羅は、今でもはっきりと覚えていた。更にはその時母親と父親が繋いだ手と手で2人だけの会話をしていた風景を、沙羅は忘れることが出来なかった・・・。


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小説短編集 【54】フラガールのいた夏(原稿用紙30枚)


※啓樹が音響エンジニアを目指して専門学校へ入学してから早くも2年が経とうとしていた。高校時代啓樹は、大好きなロックバンドのライブ会場やコンサートホールに通った。そのチケット代を捻出するために、高校入学した時から啓樹はアルバイトを始めていた。
 
 もともと引っ込み思案な性格だった啓樹は自身で音楽に挑戦してみようとは考えずに、素敵なコンサートなどの演奏を盛り上げる裏方の仕事に気が付いた時には興味を持つようになっていた。そんな啓樹は高校卒業後迷わず音響エンジニアになるために、2年の音楽専門学校へ入学した。20歳になっていた啓樹の2年前のことだった。
 
 いよいよ卒業の時が迫ってきていた啓樹は、卒業後の進路について考えるようになっていた。それこそ2年前のライブ会場で目にしていた音響エンジアの仕事がしたくて専門学校へ入学したが、啓樹は音響エンジアの活躍場所が多岐に渡っていることを知った。
 
 実際音響を必要とする場所は、コンサート会場以外にも結婚式場、セレモニーやパーティ会場など数多くあった。だができれば専門学校卒業後は、すぐにでもコンサート会場での音響エンジニアとして活躍できる環境を啓樹は希望していた。
 
 専門学校の同級生たちの中には放送局などで働くことを選択している仲間もいたが、啓樹はコンサート会場での音響関連の仕事がメインの音響会社で働くことに拘った。理由ははっきりしていた。啓樹自身がコンサート会場で流れ出てくる音源に身体全体で反応している瞬間が、一番居心地よかったからだった。
 
 そんな啓樹は専門学校2年目から音響会社で長い休みにはアルバイトをし始めていた。正直外から漠然と眺めていたの違って、具体的に音響会社で働いている環境に身を置いてみて啓樹は多くのことを知ることとなった。それは学校卒業後すぐにコンサート会場で音響エンジニアとしての仕事に携われることは、難しいと言うことだった。運よく関われたとしてもアシスタントとして、長い間力仕事ばかりの下働きを経験することが当たり前だった。
 
 まあ確かに音響エンジニアとしての仕事に就こうとしている人の数は、啓樹が思う以上の数だったに違いなかった。そんな厳しい現実を目にしても、啓樹の音響会社で働こうとという気持ちが変わることは無かった。啓樹が身体全体で音楽を感じた原体験が、啓樹の背中を強く押してくれていたのだった・・・。


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小説短編集 【55】消えないグラフィティ(原稿用紙30枚)


※高校生活最後の夏休み、悠里はブルーな気分に包み込まれていた。それと言うのも高校卒業後の進路について、いよいよ両親と対立しなければならない時間が迫ってきているからだった。正直悠里の方には話し合いの余地など見当たらなかった。

 それと言うのも悠里が美術大学への進学を希望していたのに対して、父親は高校卒業後専門学校で教職課程を履修して幼稚園教諭免許を取得して欲しいと考えていたのだ。悠里の実家は祖父母の時代から続く幼稚園を営んでいた。

 今でも祖父母は理事長として幼稚園の運営に携わっていたが、悠里の父親と言えば数年前から市議会議員としての活動の方が忙しくなっていた。母親は中学校で教員をしていたので、結果的には高齢な祖父母の2人が力を合わせて何とか運営していたのだった。

 悠里は自分に早く幼稚園教諭免許を取得して幼稚園の経営に携わるように求めている父親に、自分こそ市議会議員活動などに専念せずに幼稚園の経営に関わるべきだと考えていた。勿論、そんな自分の考えも父親に伝えて来ていた。

 悠里に父親は子供には分からないかもしれないが、市議会議員の活動も幼稚園の安定した運営に貢献しているのだと言い張った。正直悠里には全く理解できなかった。何故なら父親の話には、具体的な説明が一切なかったからだった。

 そんなブルーな悠里が最近一番心を弾ませて向き合っていたことがあった。それは高校生活3年間の美術部の活動で、休日の部活動の日に下校時に常に顔を出していたお好み焼き屋さんからの面白い依頼だった。それはお好み焼き屋の壁が淋しいので、ストリートアートの場所として活用して欲しいということだった。

 それこそ悠里は以前から街中を歩いていて、時折空き家のシャッターや壁に見事なエアロゾールアートが描かれていたのを目にしていた。それまでスケッチブックやキャンバスと向き合ってきていた悠里にとって、お好み焼き屋さんの壁に好きな画を描けるなんて心躍る気分に包み込まれていた・・・。


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小説短編集 56】ドルフィンに連れてって(原稿用紙30枚)


※咲奈が中学時代の友人である朋美の家に立ち寄るのは6年ぶりのことだった。地下鉄神楽坂駅を降りて牛込中央通りから一本裏通りにある神楽坂能楽堂沿いの道を、周囲の街の様子を伺いながら咲奈はゆっくりと歩いていた。たった6年或いはもう6年か分からないが、街の様子は少しだけ変わっていた。
 
 緩い上り坂を上がった先にあった古いアパートは眩しいほどの新しいマンションに変わっていた。この坂を何度も行き来したのは、咲奈が中学1年生から3年生までの3年間だった。当時千代田区にあるお嬢様学校として有名だった中学校で咲奈は朋美と出逢った。
 
 咲奈は中学の時から入学してきていたが、その学校では幼稚園から進級してきていた生徒たちが圧倒的に多かった。そんな中で欠員補充のための中学受験で入学した咲奈は、最初から何となく馴染めない時間ばかりが続いていた。
 
 そんな中でたまたま席が隣同士になった朋美だけが、何の抵抗もなく咲奈に接してくれたのだった。もっとも当初朋美も咲奈には関わりたくないと思っていたかも知れなかったが、少なくとも当時の咲奈にとって朋美は唯一心を許せることができる存在であったことは間違いなかった。
 
 それだけでなく咲奈と朋美とは音楽が大好きという共通項があった。しかも好きなアーチストまで一緒だった。2人が好きだったのは《あいみょん》だった。2人は《あいみょん》が紡ぎ出している歌詞が大好きで、勿論つい口ずさみたくなるメロディも大好きだった。
 
 2人は《あいみょん》がアコギを持って歌っている姿に憧れて、2人でギターを手に入れてコピーをしたいと考えるようになった。ギターなど手にしたこともない2人が頼りにしたのが、朋美のお兄さんの一樹だった。朋美より6歳年上の一樹は、当時大学生でしかもシンガーソングライターとして活躍していたのだった・・・。


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小説短編集 57】校内放送なんて聴かないよ(原稿用紙30枚)


※高校へ入学してから2年間、雄星は1年365日サッカーばかりをしていた。正直2年間で公式戦に出ることが出来たのは新人戦だけだった。そんな雄星が2年生の終わりに、ヘディングでジャンプして着地するたびに右膝に激痛が走るようになっていた。
 
 春休みの間に病院へ行った雄星は、医者から当分の間は膝に負担のかかるような激しい運動は避けるようにと指示された。それを守らないと日常生活まで痛みで支障がでるとまで言われた。最後に当分の間って最低どのくらいかとの雄星の問いに、医者は最低1年間とあっさりと答えた。
 
 サッカーが出来なくなった雄星は、3年生になる直前にサッカー部を退部した。元々レギュラーでもなかった雄星だし大学への推薦入学が決まっている3年生以外は3年生になると同時に大学受験勉強に専念するために
部活からは距離を置いていたので、雄星の退部は何ら目立つこともなかった。
 
 いずれにしてもサッカーができないのにサッカー部に留まるのが何か不自然なように思えた雄星は、あっさりと退部したのだった。そんな雄星は、高校3年生の1年間を大学受験のためだけで過ごすのが何となく物足りたく感じていた。
 
 サッカー以外に音楽を聴くのが大好きだった雄星は、学校内でも授業中以外の時間のほとんどをスマホを利用して大好きな音楽を聴いていた。そんな雄星は高校入学からずっとコロナ禍ということもあって、昼食時はクラスメイトたちと一緒になって黙食していた。
 
 そんな昼休みに教室内に流れてくる校内放送の音楽が、雄星には気になって仕方なかった。勿論ほとんどの生徒たちは、耳にイヤホンをしてスマホで好きな音楽を聴いていたから関係ないと言えば言えた。それでも音楽以外にラジオ放送を聴くのも好きだった雄星には、気になっていたのだ・・・。


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