★山下達郎さんに関する話題があったので紹介します~1970年代は、ポップミュージックが激的に進化したディケイドでした。それは日本でも米英でもそうだったのですが、進化の中味はまったく違っていました。
※1980年の名盤、山下達郎「RIDE ON TIME」が色褪せない理由とは?・・・・・山下達郎が1973年に結成した “シュガー・ベイブ” も、洗練されたコードプログレッションやコーラスワーク、ファンキーなリズムなど、当時の日本では群を抜いて斬新なサウンドを標榜していましたが、それでも鳴かず飛ばず。
1975年、大瀧詠一のナイアガラ・レーベルから唯一のアルバム『SONGS』をひっそりと発売した1ヶ月ちょいあとに、拓郎、陽水、小室等、泉谷しげるが鳴り物入りで「フォーライフ・レコード」を立ち上げたのが、実に好対照でした。
フォーク的でありつつ、“キャラメルママ”+シュガー・ベイブによるオシャレなサウンドを配した荒井由実は、フォークとは違うってことで、「ニューミュージック」と呼ばれるようになりますが、彼女はしっかり売れましたね。
思うに70年代は、サウンドよりも歌詞が重視された時代ではないでしょうか。拓郎、陽水、ユーミンらは、その詞の言葉が若者たちの心をガッツリ捉えました。
でもロックは、フラワーやクリエイションなど英語で唄っていたのはもちろん論外で、はっぴいえんど(詞は松本隆)や達郎(初期の詞はほぼ吉田美奈子)も、歌詞がちょっと難しすぎた。スッと入ってきて情景や心の動きが見えるような詞じゃなかったのです(のちの松本隆は文学性とわかり易さの両立を果たし大成しますが…)。
したがって山下達郎も、シュガー・ベイブはアルバム1枚で崩壊し、彼の才能を信じたRCAレコードのディレクター、小杉理宇造のバックアップにより、『CIRCUS TOWN』(1976年)、『SPACY』(1977年)、『GO AHEAD!』(1978年)と、渾身のソロアルバムを3作世に問うも、いっこうに “打てど響かず” という状況だったのです。
そう、たのです。そうした時代の動きとともに山下達郎の評価は高まっていきます。『GO AHEAD!』のオリコン・アルバムチャート75位に対し、次作の『MOONGLOW』(1979年)は20位。しかも1年間チャートインし続けるという、徐々にかつ着実に認知が広がっていることの証であるロングセラーとなりました。
そしてそれに続く本作『RIDE ON TIME』では、一気に1位の座を獲得。上昇傾向をさらに加速させたのは、先行して5月に発売されたシングル「RIDE ON TIME」で、小杉理宇造ががんばって取ってきた「maxellカセットテープ」のCMタイアップもあって、50万枚のヒットとなっていました。CMには、あんなに “顔出し” を嫌がる彼が出演もしていますが、きっと初めてのことで、考えるスキもなくやらされていたのでしょうね。
そう、ディスコブームによって、「歌詞偏重の時代」は終わり、人々はようやくサウンドに注目するようになったのです。そうした時代の動きとともに山下達郎の評価は高まっていきます。『GO AHEAD!』のオリコン・アルバムチャート75位に対し、次作の『MOONGLOW』(1979年)は20位。しかも1年間チャートインし続けるという、徐々にかつ着実に認知が広がっていることの証であるロングセラーとなりました。
そしてそれに続く本作『RIDE ON TIME』では、一気に1位の座を獲得。上昇傾向をさらに加速させたのは、先行して5月に発売されたシングル「RIDE ON TIME」で、小杉理宇造ががんばって取ってきた「maxellカセットテープ」のCMタイアップもあって、50万枚のヒットとなっていました。CMには、あんなに “顔出し” を嫌がる彼が出演もしていますが、きっと初めてのことで、考えるスキもなくやらされていたのでしょうね。
思いがけない順風に包まれると、人はともすれば浮き足立ってしまいます。そうはならず、「玄人受け」へ舵を切った達郎は実に賢明でした。表面的なポップさはやがて剥がれ落ちてしまうもの。その下に、硬い音楽の結晶があるから、アルバム『RIDE ON TIME』は、長い年月を経てもなお、輝きを失わないのです。
~出典:Re:minder - リマインダー~