おはようございます。
磯田道史教授が、東京静嘉堂文庫に、『元禄中大地震大火の覚』、別名『祐之(すけゆき)地震道記(みちのき)』という記録の事を書いています。これは300年前の公家の記録です。
今回の震災の揺れの長さが、阪神大震災や新潟中越地震の10倍の長さであった…と言われていますが、江戸時代には地震計も分も秒もない。普通の江戸人の時間単位は一刻(約2時間)を、四つに割った四半刻(小半刻とも言う)「約30分」が最小でした。このことから江戸人には、分秒単位の揺れ時間を客観的に記述すること自体が難しい。
それが近衛基熈(もとひろ)の日記『基熈公記』の記述が詳しいと書いています。基熈は太政大臣にまでなった最高位の公家ですが、その人の日記に元禄16年11月23日の処に(寅の刻地震)「後に聞く。道、二町ばかり徐(おもむろ)に歩く間」と記されている。何んと道をゆっくり2町(約218メートル)歩く間揺れたのだと…。
現在の不動産屋は、徒歩一分は80メートルで換算している。…とすれば、218メートル歩くのに163.5秒、3分間近くも揺れたらしい。4年後の宝永地震が起きた日の基熈公記も見たら、「道歩く者、七、八町ばかり歩く程の間なり」とあるそうです。これで計算すると10分近い揺れになる。
南海トラフの連動型地震は、10分間の揺れが起こる可能性があるという事だと…、さらに恐ろしい記述を見つけた。基熈は元禄関東地震が遠く離れた静岡県の新居宿(現、湖西市)を壊滅させたと記す。「新居の人馬悉く死す。泊まりの舟数を尽くして破損、或いは又逐電す。」元禄の地震津波は、東海以西も襲った。
東京大地震研究所の都司嘉宣氏の研究があり、新居宿の付近の「津波波高は少なくとも3メートル程度」とされている。しかし基熈公記の記述では、津波は新居宿を壊滅させている。新居宿のある浜名湖付近は日本の弱点であると…。東海、東南海、南海の連動地震がおきれば、もっと巨大な津波に襲われる。しかも震源が近いから悲惨である。
震度6以上の揺れが基熈の言うように長時間続き、動けぬそのさなかにすぐ津波が来るとすれば、しかも新幹線が低くここを通っている。東海道線もだ、新幹線の編成定員は約1300人上下線で2編成同時にやられれば2600人以上、東海道線まで入れれば大変な人数になる。早急に対策が必要であると!これは古文書の中の架空の話ではないと。
私は磯田先生の話は大変重要な事で、千年に一度起きている地震、津波の古文書のデーターを無視した結果が、今回の東北震災を大きくした原因…言わば原発も地震、津波も人災的要素が多分にありますよ。データー無視で防災を何にもしなかった!こうして見ると、ますます浜岡が心配です。歴史は繰り返される、という事を肝に銘じて、しかるべく手を打つことは政治、行政の務めです。
三日は雛祭りでした。年々日本の伝統文化が廃って来ました…寂しい陰りです。
また書きます 。