一休さんは、本当に頓知が有った? | 脳溢血からのゆうき

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おはようございます。


昨日マリンタウンで、子供たちが一休さんの頓知話をしていましたが、本当はそんな事は無かったようですよ。そもそも一休さんは、当時は記録を見るだけで相当な奇人だと・・・・・。それともう一つ、この人は死後200年ぐらい経って作者不明なのですが、一休遺稿集なるものが出たようです。その中に面白可笑しく頓知話を沢山載せて世間の評判になったようです。1394年に生まれ、1481年に亡くなっています。当時としては相当な長寿ですよ87歳ですからね。


一休さんは臨済宗の僧侶で、一休宗純というのが本当の名前で、後小松天皇の子供で、墓は現在も宮内庁の管轄におかれています。72歳で一寺の住職になり50歳代の目の見えない女(ごぜ)を寺に入れて、死ぬまで一緒に暮らしたことは有名な話です。それにしても72歳とはいかにも遅いですね。それまでは世を拗ねて、放蕩三昧を繰り返していたのでしょう。『一休道歌』に収められている一休の辞世が載っています。「死にはせぬ、何処へも行かぬ、ここに居る、訪ねはするな、物は言わぬぞ」愛する女性に俺は死ぬけど何時までもお前と一緒だと・・・・・。一休さんらしい句ですね。もう一つ「有露路より、無露路に帰る、一休み、雨降らば降れ、風吹かば吹け」と言うのも有ります。ただ、この人の事を調べると、室町時代の世相が良く解かるし、面白い逸話は相当にありますよ。子供たちの話から思いがけずにこんな事を・・・・・。


また書きます。