原爆忌!今年で66年目! | 脳溢血からのゆうき

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おはようございます。


今月6日と9日は、広島と長崎に原爆が投下された日です。早いものであれからもう66年、私が2歳の時です。6日の金曜日にNHKのテレビで原爆投下までの事を放映しておりましたが、改めて日本軍部の無能と無責任さが浮き彫りにされました。


当時軍部はサイパン、テニアン、グァムなどへのB29の爆撃機の実態が解かっていたのですが、原爆もアメリカの実験が成功したことも知っていたのに、まさか原爆は落とさないと高をくくっていたと…。それと広島や長崎へも大本営から警戒警報を発令せずに何の連絡もしなかった!酷い話ですよ、何で爆撃機が向かっていると連絡しなかったのでしょうか?「連絡さえしていたら」と、当時の関係者が皆さん異口同音言っています。きっと半分の命が助かったと…。そして原爆が落とされてもまだ大本営は原爆ではないと…。長崎に落とされて、やっとポツダム宣言受諾ですよ。


広島では86歳の当時看護婦さん(その方は地下壕で仕事をしていて助かった)が、「せめて空襲警報があれば、死んだ人は半分だった」と…。「長崎の基地でも迎撃命令が出ていれば落とせた」と88歳の当時パイロットの方が言っていました。それと大本営の事を、今年初めて知らされたと泣いていました。こんな軍部の元で戦争をやっていたのかと・・・・日本人は何時からこんなになってしまったのか。それと作戦参謀に関わっていた方も90歳の方ですが、上層部にいくら特殊爆撃機だと言っても全部握りつぶされたと・・・当時の爆撃機番号は、4百番台と5百番台それと2百~3百機編隊で6百番台の爆撃機が突然現れてしかも12~13機編成これは可笑しいと必ず特殊な爆撃機であると・・・・・しかし無視ですよ!そして降伏後は全部書類を何日も掛けて焼却したと…。秘密保持ですか?


とにかく、日本は負けるべくして負けたのです。何処の国でも上の人間は下の人間の痛みなどは解からないのですよ!!当時と現代の政治状況とまったく同じですよ。震災、原発と国民は死に物狂いで生きていますが、政治家や官僚達は解かろうとしませんね。本当にパイロットの方ではないけれど、何時からこんな国になってしまったのか?・・・情けないの一言です。


また書きます。