貨幣は何時ごろから? | 脳溢血からのゆうき

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貨幣は何時頃から出来たのですかね?

勿論、日本では和銅年間で日本最古の銅銭が和同開珎ですが、中国では殷の時代、[夏王朝][殷(商)王朝][周王朝]の殷です。現在は商王朝と呼ばれています。紀元前1700~1800年頃の王朝です。この商の最後の王が、稀代の悪王とされている紂王(ちゅうおう)ですが、果たしてそうでしょうか?

現代でも商人とか、商いなど日本でもお馴染みの言葉ですが、4000年も前の商の国の人達が、遠くまで品物を運び物々交換をした。そんな人を商人とか商びとのようだと言い現在まで残っているのです。


この紂王は『史記』の殷本紀には、商の紂王が、衆目を驚かせる物を造ったと、それは鹿台(ろくだい)と呼ばれる高層建築物と鉅橋(きょきょう)と呼ばれる巨大な倉庫であると。

鹿台の中には銭が満たされ、鉅橋の中には粟(ぞく・穀物)が満たされていたと、はっきり書かれています。それともうひとつ酒池肉林の話も書かれていますが、これは男女が素っ裸で踊り狂うと、・・・

酒を飲み酩酊して先祖の霊を呼び戻す・・・

こんなのは多分に宗教的意味合いがあると思われますが、紂王が通貨経済を考えた最初の人であることは間違いないようですよ。


通貨は銭というより最初は貝でした。通貨に関する文字には全部「貝」が含まれているのがその良い例です。

紂王が通貨経済(殷本紀での表記)を発想し、実行しようとしてデフレやインフレの対策のために、現代で言えば米価安定の為にそういう蔵が必要であったと考えるのは間違いでしょうか。


紂王は急激な改革を断行しようとして民衆から受け入れられなくて、周に叛かれ滅ぼされた。歴史とは不思議ですね。

良い事を行おうとしても、民意がなければ駄目なんですよ。お陰で紂王は4000年経っても、未だに悪王の汚名を着たままです。


又書きます。