気分爽快、久しぶりの痛飲。 | 脳溢血からのゆうき

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お早うございます。


昨夜は久しぶりに二人の友と痛飲しました。とは言え、この年でこの身体です。飲む量などはたかが知れてますが、政治の話、歴史の話、ゴルフの話、かなり盛り上がりました。


その中で三国志の諸葛孔明の「天下三分の計」の話が出ましたが、晋の陳寿の記した『三国志』の『蜀書、諸葛亮伝』には劉備から三顧の礼を受けて劉備に仕えることを決心した孔明は、曹操と孫権に抗することをせず、荊州と益州とを支配して覇業を為す事を劉備に進言したものの「天下を三分する」と言う語句は用いなかったみたいです。

孔明は赤壁の戦いの前に、孫権を説いて協力して曹操軍に当たろうとすすめたとき「鼎足の形」という表現を用いたのが天下三分の計にあてはまるようです。

鼎は古代からある煮沸器で火にかけるために三つの足を持っているのが特徴であり、四つの足より安定性に優れていたと思われていたようです。鼎足と言えば安定と同義語みたいに考えて良いようです。


しかし…です。

天下三分の計を始めに説いたのは、諸葛孔明ではありませんよ。

それより400年も前に活躍していた男がそれを明言していた。

名前を蒯通(かいとう又はかいつう)という楚漢戦争期の説客です。つうはとうとも読みます。説客は身分の高いものが抱えていた顧問ですね。蒯通は名将の背水の陣で有名な韓信の元に居て、軍略を助言していたんです。

秦の始皇帝が亡くなると、各地で反乱の火の手が上がります。中国全土に燃え広がり、人民を焼き尽くして、その中で生き残った英雄豪傑の数が絞られてきた中から、項羽、劉邦、韓信、彭越(ほうえつ)などが残りました。項羽と劉邦が中原で激突している間に、韓信は北から東へ軍を展開して燕(えん)と趙(ちょう)と斉(せい)の三国をおさえて、項羽配下の猛将の竜且(りゅうしょ)を打ち破った。恐れた項羽は人をやって韓信を説いた。その勧告を断った韓信を見ていた蒯通は「天下を三分し鼎足のごとくして居るに若く(しく)はなし」と・・・・。

その言葉は『史記』の准陰候列伝(わいいんこうれつでん)に書いてありますが、項羽にも劉邦にも欠点が有り、韓信が二人にない徳を持って諸侯、や民を手なずければ、天下の盟主になれると・・・・・・。

蒯通はそう献言をしたが、韓信はその検索をしりぞけ、劉邦に味方してその幸運を劉邦にくれて、最後には劉邦の后の呂后に殺された。

歴史は面白いですね。


酒の一番の肴は良い友と、良い話です。

論語に「友遠方より来る、又楽しからずや」とありますが、昨夜はその心境が解かるような気がしました。


又書きます。