姓と名の間にのがある疑問 | 脳溢血からのゆうき

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お早う、ございます。


一昨日の夜、東京での出来事、一人の酔った女の人が駅のホームから転落した。それを見ていた一人の男性が飛び降りて電車が来ているのにその女の人を助けて、自分も助かった。勇気のある行動ですね。

助けた男性に拍手です。唯、片方の女性には少し?です。

酒を飲むのは一向に構わない、が、酔ってホームから落ちるほど飲まなくても・・・・・・しょぼん


さて昨日の続きではないけれど、私は中学、高校の時から疑問に思い何人かの先生に聞いたのですが、誰も答えてくれませんでした。

どう言う事かと言えば、清水次郎長が清水の次郎長、国定忠治が国定の忠治、平清盛が平の清盛、源頼朝が源の頼朝、何で間に(の)が入るのか調べていくとかなり古いですよ。

聖徳太子の厩戸御子を厩戸の御子、額田王君を額田の王君と枚挙に暇が無いくらいです。こうして見ると、どうも侠客や武士の棟梁に多く見られますが、何ですかねー…。

幕末以降はありませんが、皆さんはどう思われますか?

他人から見ればどうでも良いような些細な事でも、私にとっては幼い頃からの疑問なんです。人間は可笑しな動物ですねニコニコ

私なりの結論なんですが、天慶年間に乱を起こした、これは西側の首謀者藤原純友、東の首謀者の平将門、そうして純友だけを天慶の乱と言う。

どうもこの二人から間に(の)が入り出した、朝廷にとっても、庶民にとっても大事件だった。以前の大事件と言えば、天皇の後継争いの天武と大友の壬申の乱くらいで、その事は庶民には全く関係の無い雲の上の話で、将門の乱は直接庶民に繋がる事件です。本当に私だけの考えですが、どうもこのあたりですね。

真相は解かりません。いくつになっても解からない事ばかり、情けないですよ。  笑わないで下さい。


また書きます。