お早う、ございます。
昨日帰宅したらテレビで水戸黄門をやってました。
相変わらず根強い人気です。唯、黄門と言うのは中納言の呼び方なんです。
尾張は大納言、紀州は中納言、水戸は少納言、二代目光圀の時に中納言になった。ですから紀州藩主も水戸藩主も皆黄門様なんです。
それと光圀さん、あんなに旅はしてないんです。![]()
水戸と江戸の往復と、五歳ごろに父親と一度だけ熱海の温泉に行っている。
文献ではこれが最初で最後の旅です。
何でこの様な物語が出来たと言えば、五代将軍の綱吉、犬公方です。あの悪政をいさめる為に、犬の毛皮を送ったと有ります。
その事が全国の庶民から拍手喝采を浴びて、悪人懲らしめの諸国漫遊の話になった。![]()
それともう一つ大事な事は、光圀さんは現代でも教科書に出て来るし参考にもしている(大日本史)の編纂をさせた事です。
昔から日本人は判官びいきと言う言葉が有りますが、これも光圀さんに関係があります。
判官びいきの判官とは源の義経の事です。
ご存知の様に義経は、奥州の平泉 高館(たかだて)で藤原泰衡に殺されたとされて居ますが、大日本史の中では?疑問視している。
どう言う事かと言えば、義経の首は偽者だったと。
現代風に訳せば、首が鎌倉の腰越に届いたのが真夏の八月です。
普通の旅では、平泉から鎌倉まで一月ぐらいなのに
三ヶ月も掛かっている。
大日本史曰く、「如何に酢や酒に漬けようと腐敗せざらんや」と。
要するに義経の首は、腐っていて確認できない。
義経には杉目小太郎行家と言う影武者が居たと・・・・・・。
奥州には小太郎の墓が今でも有りますよ。
光圀さんの大日本史に書かれている。そんな事から奥州地方には、
死んだはずの義経主従の痕跡が至る処に残ってる。
英雄の義経を殺したくなかった。
これが判官びいきなんです。
こう言う日本人気質は善、悪どちらかと言えば私は昔からの、歌舞伎、
浪曲、講談など日本独自の文化が培った人気であり、
間違いなく美徳ですよ。
他国にはない日本独自の文化ですよ。こんな事を考える時です、日本人に生まれて良かったと![]()
今日も寒さが厳しいです。また書きます。