内省的か否か | 希望ある未来へ~山内卓オフィシャルブログ~

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生まれ故郷である八戸市を中心に活動する山内卓(やまのうちたかし)の日々考える事などをUPするブログです。

 昨日不覚にも携帯電話を地面に落としてしまい、画面の右4分の1に二本線が入ってしまって、Deleteも送信も出来ない状況になってしまいました。流石にこの状況が辛かったので、今日の午前に携帯ショップに持っていくと、機種変更せざるを得ないようでした。高校時代までは携帯電話自体が無い生活をしていたのだと思うと、今になってみれば考えづらいほど自分自身の生活に携帯電話が欠かせない時代になっていますね。特に人との繋がりが重要な人ほど、それは顕著であるように思います。とはいえそれに振り回され過ぎるのもまた違うように思いますね^^;まだ新しいスマホに慣れない状況ではありますが、少しずつ慣れて行きたいと思います^^

 

 さて、中間選挙の結果とその後のトランプ大統領のコメント等が話題となった昨日でしたが、日本政治、国会も新大臣の資質について多く物議を醸しているようですね。もはや疑惑のデパートとなりつつある片山さつき地方創生相を始め、新閣僚には様々な問題が持ち上がっています。そしてまた純粋に大臣という職責、桜田五輪担当相がしどろもどろな答弁を繰り返し、その能力自体に疑問符が付いています。立憲民主党・蓮舫議員の質問においては、「事前通告がなかった」と釈明した後、実際には事前通告があった事が分かり、それについて謝罪する一幕もありました。

 

 近年、様々な場面で「謝罪」について目にするたびに、「内省的」である人が少ないように思えてなりません。今回の桜田大臣のように、自己の過失を他者に擦り付ける形で当初言明した事は論外でしょうが、そうでなくとも「皆様に誤解を与えた」という表現での「謝罪」が少なくない事は非常に気に懸かっています。「誤解を与えた」というのは「誤った解釈をさせた」、その解釈の余地のぶん他者に責任を押し付けていると言えなくもないからです。

 

 人間厳しい状況の時ほど、その真価が問われるものですが、責任に対して臨む姿勢では、私は「内省的か否か」は大きな分かれ目になると思っています。また、それは伝統的な日本人の美徳の一つだとも考えています。今回の件でも、桜田大臣「事前通告が無かった」→SNS「通告しないものを質問するな」→桜田大臣「すみません、事前通告ありました」→SNS「とはいえ、蓮舫議員の質問はいかがなものか」と、まるで自己の間違いを認めたら「負け」といった姿勢が横行しているような意見も散見されました。「間違いを認めたら負け」の跋扈は、上塗りに上塗りを重ねて、本来あるべき場所から大きく離れて行ってしまう原因となってしまうのではないでしょうか。自分自身、無知である事はあっても、無恥ではありたくないと思いますし、自身の成長に繋げられるよう、内省的に分析する事が出来るよう努めていたいと思います。