『自立』をはき違えてはいけない | 希望ある未来へ~山内卓オフィシャルブログ~

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生まれ故郷である八戸市を中心に活動する山内卓(やまのうちたかし)の日々考える事などをUPするブログです。

 ここ数日、曇り空が続いていた空も、今日は午後には陽が射して来ました。今日は8月30日、昨年のこの日には岩手県や北海道が大きな大雨被害を受けました。私の友人の中にもその被害で類縁の方を亡くしてしまった方もいます。しばらくの間行方不明であり、生きて見つかって欲しいという一縷の望みも叶わず、後になって発見されたそうです。「せめてきちんとお墓に納めてあげたい」という想いを聞いていただけに、悔しい想いと自然の持つ厳しい一面とへの畏怖が入り混じったような感覚になったのを覚えています。

 

 岩泉町では、今もまだ一人の方が依然として行方不明のままだそうです。東日本大震災を引き合いに出すまでもなく、自然はいつだって私たちの想像を越えて来てしまうのです。失われてしまった命へ哀悼の誠を捧げる一方で、今を生きる私たちの命・暮らしを守るために未来へ向けて取り組んでいく事こそ、私たちが自分たち、そして大事な人たち、将来世代を守っていく事にとって必要な事であると改めて思います。災禍を忘れないこと、振り返り教訓を活かしていく事の意味と向き合っていかなくてはなりません。改めてこの豪雨被害で命を落とされてしまった方のご冥福をお祈り申し上げます。

 

 さて、ここのところナチス、ヒトラーというワードがなぜか現代日本でよく耳にするようになった感じがしますが、昨日麻生副総理が横浜市における講演の中で「何百万人も殺しちゃったヒトラーは、いくら動機が正しくてもダメなんだ」と発言した事が報じられました。この発言に関しては麻生副総理ご本人が撤回したいとコメントなさっているようですが、毎度の事ながら撤回すれば良いという事ではなく、言葉が発された意識が非常に問題であると、これまでの「憲法改正はナチスの手口に学ぶ」「景気浮揚手段としての戦争」発言などの際にも述べて来ました。

 

(舌禍と意識)

https://ameblo.jp/t-yama43423/entry-12051896216.html

(根底にあるもの)

https://ameblo.jp/t-yama43423/entry-11585828469.html

(命の重さと言葉の軽さ)

https://ameblo.jp/t-yama43423/entry-11454511061.html

譎詐百端)

https://ameblo.jp/t-yama43423/entry-12145645324.html

 

 これに対し、「言葉を切り取るのが問題だ」「政治家になろうという動機だ」とする主張も見られますが、撤回後のコメントでご本人が「ヒトラーは動機においても誤っている」と仰っているので、後者の解釈は当たらないでしょう。また、他の大虐殺の例を挙げる方もいらっしゃいますが、それはそれで別個の検証が必要であり、それ自体がヒトラーを例示した事が批判される事とは関係が無いでしょう。whataboutismでは、真摯に一個一個の課題と向き合う事が出来ないと思います。

 

(フェイクとwhataboutism)

https://ameblo.jp/t-yama43423/entry-12292296269.html

 

 ヒトラーと言えば、個人的に述べて来た考察では、戦前の政治家・中野正剛氏の生涯について述べた時に触れました。

 

(偶然ではなく必然)

https://ameblo.jp/t-yama43423/entry-11466384495.html

 

 私たち一人ひとりがこの史実に関して向き合う時、やはり忘れてはならないのが、ナチス独裁の裏には民衆の熱狂的支持があった事です。「ユダヤ人」という存在を敵視し、まるで自身の出自(オーストリア出身)への不安を払拭しようとするかのように「民族共同体」を強調し、それに熱狂し支持した民衆が多くいたという事に他なりません。

 

 この現代、グローバル社会の中で日本に限らず台頭する偏狭なナショナリズム、その懸念は世界に広がっています。私は日本人としての誇りも持ち、先祖代々がこの地で生を紡いで来た事にも畏敬の念を持っています。そしてまたそのうえで『自立した日本人』としてどう生きるかを真摯に考えています。自立とは決して排外的になる事ではなく、また「国家」にのみ拠り所を求める事でもないはずです。あらゆる人間が行き交う中においても埋没せず、また相手をレッテル貼りによって埋没させる事でもないでしょう。

 

 個として認め合い、違いを許容し合い、自立しながら共生を模索する事が今最も必要な姿勢であると私は思います。『自立』の意味をはき違え、共生を模索する態度が忘れられた時、また歴史に対して真摯に向き合わなくなった時、そして普遍の理念が感情に圧倒された時、過った選択へと繋がる可能性が高くなってしまうのではないでしょうか。