フェイクとwhataboutism | 希望ある未来へ~山内卓オフィシャルブログ~

希望ある未来へ~山内卓オフィシャルブログ~

生まれ故郷である八戸市を中心に活動する山内卓(やまのうちたかし)の日々考える事などをUPするブログです。

 昨日今日は風があるぶん、暑さの中でも幾分か過ごしやすさを感じましたね。しかし、大雨に見舞われた九州地方ばかりではなく、今度は茨城県や福島県で記録的な短時間の大雨、そしてまた竜巻の発生が伝えられています。九州北部の豪雨から1週間が経ち、被害の全貌が明らかとなって来ましたが、今度は過酷な暑さに苛まれているという話も聞こえて来ます。物理的なものばかりでなく、精神的にも負担は大きいと思います。全国から救いの手が一刻も早く現地で苦しむ方々に届くよう心から祈念申し上げます。

 

 さて、閉会中審査から数日が経ちましたが、参考人を招いての質疑に関して受けた印象はやはりそれぞれのようです。私の印象は以前述べた通り、過程の話をすべきところ、入口の話をして本質ではないところに焦点を当てる質疑もあったように感じています。

 

(入口・過程・出口)

https://ameblo.jp/t-yama43423/entry-12291386870.html

 

 これに対する反応もやはりそれぞれで、中には意図的なのか否か、そういった本質とズレた点ばかりを強調している方もいらっしゃるように思います。こういった問題に関心を持つ事は国民として重要な事であると私は思いますが、日本ばかりではなく、米国の事例を見ても、やはり情報リテラシーの重要さを感じるばかりです。

 

 先日、俳優の西田敏行さんに関して違法薬物使用疑惑と中傷した男女3人が書類送検されたという報道がありました。その方々は「広告収入を得るため」、閲覧数をあげたかった動機を供述しているそうです。以前、NNNドキュメントにおいて、米国のフェイクニュースの特集がされていた事を思い出します。トランプ大統領の誕生の裏側で、フェイクニュース業者が取材を受けていましたが、「広告収入を得るため」嘘を吐いても良いと述べていた言葉を思い出しました。中には「デモ参加者に日当が出ている」というものや、宗教や人種についての差別を煽るようなものもありました。決して米国だけの話のようには思えませんでした。

 

 翻って、情報化社会の中で、世論の形成に各種SNSが大きな影響を与えるようになって来ているのは事実であると思います。巷間においても活発な議論が為される事は良い事なのだと思いますが、昨今顕著に感じられるのは、いわゆるwhataboutism(そっちこそどうなんだ主義)の横行です。ある一つの話題に関して『それをいうなら〇〇はどうなんだ」という議論の切り返しですが、あまりにもこれが度を過ぎると、一つひとつの物事の検証が難しくなり、形式的には議論に見えても本質的には議論にならないという事例が増えてしまうのではないかと危惧します。

 

 この手法を今『保守』と自称する方々の間で多く用いられているようにも感じますが、旧ソ連で用いられた論法が、それを毛嫌いする方々が多用しているように思えるのは皮肉なものだと思えてなりません。

 

(360度違う)

http://ameblo.jp/t-yama43423/entry-12204039010.html

(拡散と分散)

http://ameblo.jp/t-yama43423/entry-12182828036.html

 

 情報が溢れ返る現代、今私たちに求められているのは、何より本質を掴むために情報を選り分ける努力をすること、そして制度を理解した上で、なるべく原典にあたり何が問題とされているのか能動的に考えることだと思います。自分自身、未熟ではありますが、常にそういった面での努力を続け、自己を研鑽して行きたいと思います。