お別れの日のこと① | ある主婦のWDWへの道・・それから他の旅行も

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2021年5月21日、朝6時59分に、息を引き取った父。

 

翌22日、10時から、葬儀の予定になりました。

 

 

亡くなった時は、台風みたいな大雨。

 

そして、遺体になって帰宅するときには、奇跡の一時的な晴れを呼び、葬儀場に来るときは、「いやだ」と、いう気持ちでか、再びの雨でしたが・・・・

 

 

葬儀の当日は、青空も垣間見える、穏やかな晴天になりました。

 

 

さすが、じーちゃん、持ってるな~、と、朝から妹と喜びました。

 

 

2人で朝食を済ませ、妹は、一回、実家に行って窓開けたりして風を通してくる、と、実家へ。

 

私は、葬儀場でお留守番。

 

 

そうこうするうちに、夫が来て、父と特に親交の深かった方が来てくださり、叔母夫婦も来てくれたり・・・・

 

 

また、賑やかになったので、父も嬉しかったでしょうね。

 

 

10時前に、お坊さんが来てくださり、予定通り、葬儀が始まります。

 

 

 

朗々と響くお経、それが父のためにあげられている、その感覚がまったく無いのは、昨夜のお通夜の時と同じ・・・

 

でも、顔を上げたら、そこには父の顔写真が・・・

 

やっぱりこれは、パパのお葬式なんだな、と。

 

 

 

そういえば、今は、葬儀の時の写真も、昔みたいに合成で無理に着物を着せたり、スーツを着せたりしないんですね。

 

Tシャツ姿で、母と妹夫婦と、釣りのできる宿に泊まりに行ったときの、楽し気なオフショットを、そのまま、使ってもらいました。

 

 

希望すれば、どんな風にでもアレンジはできるらしいけど、このままの方がいい、と思ったので・・・

 

 

そして、棺の中には、故人の好きだったモノや、お気に入りの品を入れてあげてください、と言われましたが、お気に入りの時計やメガネは、燃えないからNGということで、すっかり迷ってしまい。

 

 

 

結局、義弟の提案で、父の大切な魚拓を入れてあげました。

 

 

遠い昔、みんなで隠岐の島に行ったときに、父が釣った石鯛。

 

考えたら、その隠岐の島への旅行、私たち家族、そして葬儀に来ていただいた父の親友でもあったMさん家族、まだ結婚する前の叔母、というメンバーで行ったので、とても良い選択だったな、と。

 

ちなみに、どれくらい昔かというと、ほぼ50年近く前です笑い泣き

 

 

義弟が結婚の挨拶に来た時も、うちの夫が来た時も、父との話題に上っていた、石鯛の魚拓。

 

 

後で妹と、好物のお餅とか、フィンガーチョコレートとか入れてあげたら良かったのかな、と、後悔しましたが、亡くなった直後は、最後の方、もう何も食べられなくなっていた父のイメージしか無くて、食べものを入れる、という発想が浮かばなかったのです。

 

 

私は自分の時のために、何を入れて欲しいか、書いておこうかな、とか、ちょっと思ってみたりしています。

 

 

 

そして、もうひとつ、ひなたが、おおじいじに、と書いて来てくれた、お手紙も入れました。

 

まだ、やっとひらがなを書けるようになったばかりの4歳なので、「おおじいじ、ありがとう」だけのお手紙ですが、何よりも喜んだに違いないですね照れ

 

 

 

最後に、棺の中にお花を・・・と、カゴにいっぱいのお花がどんどんと運び込まれました。

 

まず、喪主である私から、ということで、父の顔の横に、白い花を。

 

その後は、参列者全員で、どんどん、何度も、お花を入れていきます。

 

まだまだありますよ、と、本当に、白が中心だけど、色とりどりのお花で、父が包まれていきます・・・・

 

 

 

 

あふれんばかりのお花に囲まれて、最後のお別れ。

 

 

 

お顔を見れるのは、これが最後ですよ、と、言われたので、しっかりと、見ておきました。

 

 

病院から戻って来たばかりの頃よりも、もっと、笑顔に見える、柔らかな優しい表情でした。

 

 

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