5月21日金曜日。
父が病院で息を引き取り、その後、一旦自宅に戻って来たのを見守り、一時帰宅しました。
その際に、走り書きではありましたが、皆様にご報告をあげさせていただきました。
その、報告に、思いもかけないくらい多くのコメントをいただき・・・・
感動の涙でした
父も、きっとすごく嬉しかったことと思います。
いただいたコメント、全て拝見させていただき、感謝で一杯です
父の心にも、きっと、届いたことと信じています。
さて。
一旦、帰宅して、シャワーを浴びて、喪服を着て。
夜は、自宅には帰らないつもりだったので、着替えや化粧品なども準備して、夫とともに、午後3時頃に家を出て、今度は車で、葬儀会場に向かいます。
途中、妹からラインがきて、「いま、じーちゃん、会場に向かいました。向こうの人が準備してくれるらしいので、私は一度帰って出直します。姉が4時頃に来る予定、と言ってあるので、よろしく」とのこと。
ずっと付き添ってくれて、ありがとうね。
ちなみに、実家と、葬儀会場、そして妹の家は、車なら10分、15分で移動可能な距離です。
我が家からは、1時間ほどかかりますが。
この葬儀会社、打ち合わせの時に、祭壇に飾ったお花は全て、お亡くなりになられた方の物なので、最後のお別れですべてのお花を棺に入れていただきます、と、言ってくれていましたが、言葉通り、この祭壇のお花も、周りにいただいていたお花も、全て切って、入れてくれました。
お花であふれかえり、悲しみの中でも、嬉しい気持ちになることができました。
葬儀場は、父をまつっていただいた部屋の隣に、机を置いた控室になっていて、さらに、その奥に、あと2つ部屋と、お風呂、トイレなどがあり、新しいので綺麗で、きもちのよい空間でした。
しばらく、夫と2人で、この場所で父とのお別れをゆっくりと過ごしました。
お通夜の読経は、6時から、ということで、5時過ぎに妹夫婦が戻ってきてくれました。
間もなく、ケアマネさんと、訪問看護師さんが、弔問に来てくださいました。
皆さん、父の顔を見て泣いてくださって・・・・
「いいお父さまでした」
「いつも穏やかで、素敵なお父さまでした」
などの言葉に、とても癒されました
父も、皆さんの事が大好きでした、ありがとうございました。
やがて、姪たちとひなたもやってきました。
ひなたは、棺の中の父の顔を見て
「・・・・おおじいじ。」と、理解している様子。
何度も、棺をあけては顔を見ていました。
そして、感想は、まさかの、「おおじいじ、なんか、小さくてかわいい」
怖がって泣かれるより、いいよね、じーちゃん
お通夜のお経を聞いている間も、ぐずることも、騒ぐことも無く、きちんとお焼香もする、かしこいひなた。
お経を聞いている間も、これが父のためのものだ、ということが、わかっているようで、分からない気分でした。
お経の後は、妹家族と私たち夫婦だけで、簡単に夕食を済ませ、しばらく、父の思い出を語り合ったり、ひなたと遊んだり。
包括センターのマネージャーさんも、お線香をあげたい、と来てくださり、やはり泣いてくださって・・・・
父は人気者だったな、と、しみじみと感じました。
友人たちから、お悔みのラインが来たり、電報が来たり・・・・
バタバタで、あまり悲しみにひたっている時間は無い・・・それが、いいのでしょうね。
夜8時前、妹一家が一旦、引き揚げ。
妹だけが、後で戻って来て泊まるわ、ということで、しばらく、夫と2人でいましたが、夫も、明日また来るために帰ってもらうことに。
誰もいなくなってから、少しの間、父と2人切りで話をしました。
最後の2日間、もっともっと、ゆっくりと話しをすればよかったのに、ゴメンね、と。
父は、応えてくれませんでしたが、穏やかな表情でした。
夜9時過ぎ、妹が、コンビニのコーヒーを買って戻ってきてくれて、2人で夜中まで、父のことを話しました。
時々、お線香を上げに行きながら。
前夜、2人とも、ほぼ眠ってないから、今日は少し眠らないとね、と、12時過ぎには、2人で布団に。
葬儀場、ちゃんと眠れる部屋も別にあって、なかなか落ち着ける場所でした。
私は、父の事を考えてなかなか眠れず。
疲れ切っていたらしき妹は、腕を組んで、肩こりしそうなポーズで、でも、すぐに寝息を立てていました。
それでも、いつしか眠ってしまったようで、アラームで目覚めたのは、朝の6時半でした。
悲しくても、眠れるんだな、と、あらためて思う、私でした。
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