その日、5月21日。
朝、4時半に起きて、家を出る準備。
まだ、ものすごい大雨が降り続いています。
電車は、とくに問題なく動いてくれそうかな
夫が、最寄りの駅まで送ると、車を出してくれました。
電車の方が早く行けるので、それが一番、ありがたい
6時頃に、実家の最寄りのJRの駅に着く電車。
電車の中で、妹からラインが来て、6時半に、義弟を駅まで送るから、一緒に病院に行こうか、と言ってきてくれたので、そうすることに。
タクシーで行けば、10分くらいは早く到着できるかな、と思ったけど、少しの差なら、一緒に行った方がいいかな、と。
妹を待つ間も、雨はまるで滝のように降っていました。
妹の車で病院へ。
病院に着いたのは、6時40分頃、それから病室のフロアに上がって、看護師さんを呼び、父の名前を出すと、すぐに「こちらへ」と。
でも、その前に、熱を測り、消毒して、台帳に名前と誰のお見舞いかを記入させられます。
ようやく、病室に向かいます。
部屋に入った瞬間、廊下に一番近い場所に父の姿が。
2人の看護師さんが、父を囲んでいて、「娘さんです」と、案内の看護師さんが言ってくれて、中に。
父、身体を斜めにし、こちらを向いていました。
掛け布団は、ほとんどずれてしまった状態。
私達の顔を見て、目を見開き、そして、酸素マスクの下で、何かを言うように、口が激しく動いたのですが、何を言っているのかはわからず。
「来たよ、遅くなってごめんね」と、他のベッドの人に気を遣い、小さな声で呼びかけましたが、すぐに、看護師さんが、何かの処置をするから、少しだけカーテンの外にお待ちください、と。
で、せっかく顔を見たのに、いったん、カーテンの外で待たされました。
ものの2,3分、多分、痰の吸引だったのか、何の処置なのか、はっきりわからなかったのですが、「どうぞ」と、カーテンのを開けてもらった時には、父はすでに、意識が無く・・・・
斜めになっていた身体は、まっすぐに戻っていました。
「暑い、とおっしゃっていたので・・・」と、さっき、布団を掛けていなかった説明をしてくれる看護師さん。
でも、そんなことより、さっきまで意識があったのに、もう、無いことの方がショックで・・・
「遅くなってごめん、ゴメンね・・・」と、妹。
私は、言葉も無く、ただ、父を見つめるのみ・・・・
妹が泣きながら、父の右手を握って、さすります。
私は、左手。
でも、手には力が無く・・・・
看護師さんが、「さきほどまでは意識もあって、お話しできていたのですが・・」と、申し訳なさそうに言ってくれますが、何も言えない私たち。
少し、私達だけにしてくれようと、カーテンの外に出て行く看護師さん。
父の体に繋がれた、心電図が、時々、ピー、と、平らになります。
妹が、「じーちゃん」と、呼びかけて、手をさすると、また少し、数値が出て来る。
私も何か、話しかけたのですが、何を言ったのか、自分でまったく記憶無し・・・
ただ、ただ、もう目を開けてくれないのか、これで最後なのか、本当にそうなのか、と、そればかり考えていたような気がします。
長い事だったような、短いい間だったような時間のあと、若い女医さんがやって来て、静かに、頭を下げてくれました。
「ただいま、6時59分、私、○○確認のもと、ご逝去されました」
・・・て、言ったかどうか、定かではないです。現実味がなさすぎて、記憶があいまい。ただ、先生が名乗ったこと、心電図の画面を見せてくれて、時間が出ているのを指さし確認していたこと、そして、この時間に父が亡くなった、と、宣言されたことは確かです。
実際には、もう何分か前に、亡くなっていたのかもしれないのですが、とりあえず、宣言されたのは、この時刻でした。
普通、ここで号泣・・・なのでしょうが、隣のベッドには、他の入院患者さんが、朝の血圧測定とかしてもらっていて、まさか、号泣するわけにもいかず・・・
少しの間、父と私たちだけにしてくれていた看護師さん、20分くらいで戻って来てくれました。
その日の、父の担当だったらしき看護師さん、「本当に、さっきまで、会話もできていたのですよ。もう少し早く、およびすればよかったですね。まだ、お話もできていたので、私も、まだ大丈夫だと思ってしまって…申し訳ございません」と、謝罪してくださいます。
いえいえ、そんな、十分良くしていただきましたから。
父の体の下敷きに、新聞があり、それを見ていたら、「本当にギリギリまで、新聞を読んでおられました」
「私たちにも、ありがとう、ありがとう、とおっしゃってくださって・・・」と、涙。
こんな早朝、病院にいたからこそ、こうして看取っていただけたのだし、私達も間に合ったのだから、感謝しかないです
そして、看護師さんから、父に着せたいものがあれば、持って来てください、その間に、お風呂に入ってもらいますから、と。
1時間くらいで、お風呂に入れて、綺麗にしてくださる、というので、実家まで、最後に着せる服を取りに戻ることになりました。
お風呂って、葬儀社に頼んで、ゆかんをしてもらおうと思っていたのに、何処まで洗ってもらえるのかな、と、言いながら、実家へ。
なんだか、ぼんやりしていて、悲しいというよりは、この先、帰ったら、まず何をしたらいいのかな・・・とか、そればかり考えていたような気がします。
車の中では、「じーに、何着せる」と、話していました。
大好きだった、去年のクリスマスに自分へのプレゼントにしたいと言われ、私が選んだ、カシミアのチョッキは、必ず着せてあげようと、即決。
後は、家で選ぼうか、と。
すごく気に入って、毎日のように着ていましたから。
痩せたと思っていたけど、今見たら、なかなかふっくらしていたな、この頃はまだ・・・
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