竹谷とし子です。

 

参議院沖縄北方特別委員会視察団、与野党国会議員6名の一員として、北方領土隣接地域を訪問しました。

 

私は今は東京ですが、中学校までこの地域で生まれ育ちました。道産子(どさんこ)です。

 

(写真:晴れ渡る羅臼町国後展望塔)

 

 

昨年12月の日ロ首脳会談で、

・人道的見地から、元島民の方々の北方領土への墓参をしやすくする

・北方領土で、新しい制度のもとで日ロの共同経済活動を行う

ということが合意されました。

 

領土問題解決と平和条約締結に向けて、首脳会談の合意を具体化し前に進めるため、現地のお声をしっかり伺い、政策に反映させていく必要があります。今回、元島民、北海道及び北方領土隣接地域である根室、別海、標津、中標津、羅臼の首長はじめ行政議会関係者、漁業者の方々から現地で直接話を伺うことができました。北方領土問題解決し、ロシアと平和条約を締結するために、生かしてまいりたいと思います。

 

 

これから委員会としての報告書がとりまとめられますので、ブログでは行程を報告させていただきます。

 

視察団はまず最初に、北海道釧路空港からバスで3時間半かけて根室市に行きました。

 

(写真:釧路から根室の間にある厚岸 道の駅)

 

根室に一番近い空港は、中標津空港ですが、羽田からは昼の一便しか出ていません。それでは視察時間が短くなってしまいますので、遠回りですが朝の便がある釧路空港から行くことになりました。

 

羽田空港を出発して5時間余りかけて最初の目的地である納沙布(のさっぷ)岬に到着。

北方領土を展望。一番近い島は、わずか3.5kmの距離です。

 

(写真:納沙布岬)

 

その後、北方領土に関する歴史文書や写真が展示されている北方館へ。

 

(写真:北方館)

 

近くにある北方領土資料館も視察しました。戦前約17000人の日本人が暮らしていた北方領土の様子が伝わってきます。同級生のお父さんが写っているのを見つけました。カナヘイきらきら

 

(写真:北方領土資料館)

 

(写真:根室市と北方領土をつないだ電話ケーブル 北方領土資料館)

 

 

その後、水産加工場と花咲港を視察し、行政と漁業関係者の話を伺いました。

根室は、日本第4位の漁獲売上高で、ロシア沖でのサケ・マスの流網がロシア国内法で禁止されたことは大打撃です。地域の産業・雇用を維持するために、昨年、国の補正予算で緊急対策として、代替漁法の試験操業への支援など100億円が計上されています。視察した水産加工場では雇用は維持されていると聞きました。ベトナムからの研修生も地元の方々と一緒に働いているそうです。

 

(写真:根室市 水産加工場 株式会社カネヒロ)

 

(写真:ロシア沖で獲れた鮭)

 

(写真:花咲港)


現地視察の後、千島歯舞居住者連盟脇理事長はじめ元居住者関係団体、北海道庁の山谷副知事および根室の長谷川市長、別海の曽根町長、中標津の宮川副町長、標津の金澤町長、羅臼の湊屋町長はじめ行政議会関係者等から、北方四島交流センターでご要請を伺い、夜まで皆さまと意見交換させていただきました。

元島民の方々は北方領土に残してきた財産権の確保を求めてきましたが、他の戦後補償との関係を理由に、これまで政府は対応しませんでした。しかし、日ロが正式に北方領土で共同経済活動を進めることになりましたので、今後、新しいアプローチから、この問題の解決方法を考えていく必要があると思います。

 

(写真:千島歯舞居住者連盟 臼田別海支部長と再会)

 

(写真:北方四島交流センター)

 

(写真:標津町の金澤町長、千島歯舞居住者連盟の脇理事長)

 

 

(写真:夜明け前の根室 海面に映る月が美しい)

 

翌朝は6時50分にバスで根室を出発し、別海町と標津町を経由して、羅臼町へ向かいましたが、この日北海道では過去最低のマイナス29.2度を記録し、一歩外に出ると刺さるような寒さでした。

 

一年で一番厳しい時期の視察でしたが、天気がとてもよく、北方領土もよく見え、交通も滞らずに予定通りに進みました。

 

(写真:別海町 北方展望塔)

 

(写真:標津町ポー川史跡前 少しぼやけてしまいましたあんぐりうさぎ

 

根室を出発してから約2時間半で羅臼につき、山の上にある展望塔へ。水平線のように長く横に広がる国後島の全貌が見えます。そこで、湊屋町長より、羅臼との間で、ロシアのトロール船が操業している様子を見ながら、漁業をめぐる問題を伺いました。

 

羅臼まで国会の視察団がやって来るのは、珍しいことだそうです。しかし、根室と羅臼では、交通も漁業環境も少し課題が違いますので、最も遠い羅臼も見ることは、北方領土返還運動の拠点である隣接地域一市四町全体の振興を面的に考える上で有用です。

(別海も、標津も、本当は見るといいのですが、、、時間が限られています)

 

羅臼への道は冬は吹雪で閉鎖することもあり、不便ですが、バードウォッチングをする方には魅力的な場所で、2月頃に流氷にのるオオワシを見るためにイギリスから来る観光客もいるそうです。沖ではクジラを見ることもできます。世界遺産となった知床半島の一部でもあり、観光面からも羅臼は可能性をもつ地域です。

 

(写真:羅臼からの国後島 沖縄より大きな島です)

 

(写真:羅臼漁港)

 

羅臼沖から北方領土までの漁場は豊かですが、200海里問題などで、漁獲高は全盛期から8割減になっているそうです。羅臼漁港では田中漁業組合長から、日ロの共同経済協力活動として、共同で資源調査を行うなど漁業問題解決に向かって前進できればという期待を伺いました。

 

 

(写真:羅臼道の駅)

 

羅臼町を出発して再び標津町を経由し、内陸部にある中標津町を訪問しました。日本は、外務省を通じて、根室、釧路、中標津の3院で、北方領土に住むロシア人患者を受け入れており、一部、札幌でも対応しています。中標津町立病院では、52人の北方領土住民に医療支援を行っており、西村町長、山田事務長から事情を伺いました。

 

(写真:中標津町立病院)

 

(写真:中標津町立病院)

 

ロシア人患者には通訳がつきます。退院後のフォローも行うなど丁寧に対応されていると感じました。一方で、中標津町立病院は地域医療拠点であり、町の一般財源から多額の繰り入れを行う恒常的な財政問題に加え、平時から休床するほど看護士不足が深刻、という問題を抱えています。それらの課題をよく踏まえる必要はありますが、隣接地域の医療は北方領土より進んでおり、今後、医療支援は日ロの協力関係において期待される分野になると感じました。遠隔医療の試みも含め、協力のしかたを検討していくべきだと思います。

 

(写真:標津町からの国後島)


幼い頃から毎日見ていた北方領土は、近くて遠い島でした。目の前に広がる海は、戦後間もなく日本の島民が命がけで逃げてきた、あるいは、ソ連兵に故郷を追われた、分断と悲哀の歴史がありました。実効支配された後は、この海域で日本の漁業者が拿捕され、少なからぬ人が銃撃され死傷したという、今なお続く、危険な領土問題が横たわっています。

 

この海が、両国の連携と希望の象徴に変わる日が来るように、平和条約締結に向けて、ひとつひとつの課題解決に取り組んでいきたいと思います。

 

視察の模様は、北海道新聞などに2日にわたって掲載されました。

 

参議院の羅臼視察は18年ぶりで、18年前は2泊の行程だったそうです。今回は、1泊の行程でしたが、羅臼でも話を伺うことができ、充実した調査になりました。

 

ご協力くださった皆さまに心から感謝いたします。