竹谷 とし子です。
今日は、3番目の兄の13周忌です。
先日、故郷北海道で、法事を執り行いました。
享年34歳。
悪性リンパ腫でした。
面倒見のよい、誰からも好かれる兄でした。
漁師だった兄は、発熱しながらも、毎日漁に出かけていたそうです。
もともと野球部で、体力のある兄でしたから、健康を過信していたのでしょう。
入院後、治療のかいなく、早世。
兄嫁を気遣い、付き添いを交替した両親が、最期を看取りました。
父は、辛さに耐えきれなかったのでしょう。
出棺の時、どこかへ行ってしまいました。
喪主の挨拶のために戻ってきたときは、目を真っ赤にして。
気丈な母は、「涙を見せないことが供養」と、心に決めていたようです。
棺に向かい、「ひろ、母さん、頑張るからね」と、送り出しました。
誰よりも、辛かった筈なのに。
兄が遺した3人の子ども達は、兄嫁が立派に育て上げました。
今春、長男が大学を、長女が短大を卒業して、社会に旅立ちます。
この不況下、長男は、何十社も断られながらも諦めずに挑戦。
システム会社から内定を頂きました。
長女は、介護施設で働かせていただくことに。
次男は、高校卒業後、水産加工場を経て、現在は酪農家さんのヘルパーとして働いています。
まだ22歳ですが、「何をやっても生きていけるよ」と、明るく言います。
きっと兄も、安心していることでしょう。
兄嫁のえりちゃん、本当にご苦労様でした。
私も、兄の分までしっかり親孝行します。
そして、大切な命と健康を守るために、頑張っていきます☆
今日は、3番目の兄の13周忌です。
先日、故郷北海道で、法事を執り行いました。
享年34歳。
悪性リンパ腫でした。
面倒見のよい、誰からも好かれる兄でした。
漁師だった兄は、発熱しながらも、毎日漁に出かけていたそうです。
もともと野球部で、体力のある兄でしたから、健康を過信していたのでしょう。
入院後、治療のかいなく、早世。
兄嫁を気遣い、付き添いを交替した両親が、最期を看取りました。
父は、辛さに耐えきれなかったのでしょう。
出棺の時、どこかへ行ってしまいました。
喪主の挨拶のために戻ってきたときは、目を真っ赤にして。
気丈な母は、「涙を見せないことが供養」と、心に決めていたようです。
棺に向かい、「ひろ、母さん、頑張るからね」と、送り出しました。
誰よりも、辛かった筈なのに。
兄が遺した3人の子ども達は、兄嫁が立派に育て上げました。
今春、長男が大学を、長女が短大を卒業して、社会に旅立ちます。
この不況下、長男は、何十社も断られながらも諦めずに挑戦。
システム会社から内定を頂きました。
長女は、介護施設で働かせていただくことに。
次男は、高校卒業後、水産加工場を経て、現在は酪農家さんのヘルパーとして働いています。
まだ22歳ですが、「何をやっても生きていけるよ」と、明るく言います。
きっと兄も、安心していることでしょう。
兄嫁のえりちゃん、本当にご苦労様でした。
私も、兄の分までしっかり親孝行します。
そして、大切な命と健康を守るために、頑張っていきます☆