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今日10月27日は、17年間一緒に暮らした愛犬「ダン」の命日です。

 




2年前の朝に、私のそばで息を引き取りました。

今まで生きてきた中で一番悲しい朝でした。
 

 

17歳と3ヶ月の一生は、大往生です。
大きな病気もせず、徐々に徐々に弱っていきながら、
最期は眠るように命を終えたことは、ダンにとっては幸せな逝き方だったのかなと思いますが、

 


私や家族にとって、喪失感は言葉に言い表せないほど、辛く苦しいものです。


私は特に後悔の念でいっぱいです。
もっと遊んでやればよかった、
もっと抱きしめてあげればよかった、
もっともっともっと。。。
数えあげたらきりがありません。

 

 

人間と違って、あの子たちは言葉がないので、
表情や態度で表すしかないと、頭ではわかっていながら、


ワンワンほえて仕事の邪魔になるから「うるさい!」と怒ったりしたし、
・・・ほんとうは寂しくてかまって欲しかった・・・


 

家族旅行でペットホテルに預けたら、全くペットフードを食べずに、げっそり痩せて帰って来たこともあったし
・・・預けられるのが嫌だと態度で抵抗していた・・・


粗相したときは「もう!」って怒ってしまってたし。。
・・・寂しい、かまって、の表現だと気づかずに・・・


反省と後悔の日々を過ごしています。(今でも)


特に娘たちは、ダンは弟のような存在で、一緒に育って来た感があるので、ダンは単なるペットではなくて、とても偉大な存在だった、言っています。


私にとってのダンは当たり前に居る存在でしたから、あの子がいなくなることなんて、考えられなかったし考えたくもなかったです。


15歳を超えて来た頃から、弱りが目立ってきて、犬の寿命は人間よりとても短いという事実を受け入れざるを得なかったです。


まず、耳が聞こえなくなりました。皮膚炎にもかかりやすくなりました。
内弁慶だったので、お医者さんに行くのが嫌いで嫌いで、どこからその力出るの?くらい、車の中でも大暴れしていました。


若い頃はほんと病気一つしなくて、健康だったけど、加齢には逆らえない様子。
足腰も弱り、へたりながら一生懸命歩こうとしていました。
老いるということはこういうことだと教えられました。


ペットフードも食べなくなり、手作りご飯に変えたら、
またまた元気復活して、安心させてくれたりもしたっけ。。。


獣医の先生の「この子達は飼い主さんのために一生懸命生きようとしてくれるんですよ」の言葉は今でも忘れられないし、思い出すたびに涙が出ます。



一生懸命生きてくれたダンに、私は何をしてあげれてたんだろうと思うと、反省と後悔しか出てこなくて、涙が溢れます。


これを書いている今もでそうです。


ペットを亡くされた方は、同じ気持ちじゃないかなと思います。


2年前の今日は、偶然にも単身赴任中の夫も帰って来てたし、長女も休みで家にいました。私は関東出張の移動日でしたが、すべてを終えて夕方に出発できました。


ダンを飼うきっかけになった次女だけが、東京でしたでので会えなくて写真でのお別れになりましたが、逆にその方がよかったのかな?と思います。


弱ってからは、あまり一緒に入れる時間が長くないなということはわかっていました。なので、家にいる時は私といつも一緒にいました。

 

 

パソコン仕事してるときも膝に乗せて、キッチンにいる時も足元にくっついてましたし、寝る時ももちろん一緒です。


亡くなる前日に、「ダンちゃんはこの家に来て幸せだった?」って話しかけたら、気のせいかもしれないけれど、うっすら目を開けてくれた気がしました。


そして、翌朝起きたら、静かに息を引き取っていました。まだ暖かかったので、私が目覚めるちょっと前だったと思います。

 

 

いつも起きたら、「ダンちゃん、おはよ」と話かけるんですが、その朝はいつもと違うことがはっきりとわかりました。覚悟していたことが起きたことを悟りました。

 

自分の気持ちを落ち着かせ、体を触り、息を確かめましたが、息してる気配はありませんでした。


家族を呼びました。「ダンちゃん、亡くなったみたい」って。家族も覚悟はしていましたが、その時が来たことは、すぐに受けいられなかったようです。徐々に現実なんだと受け入れていきました。
 

 

次女に連絡したら泣いていました。「ダンちゃんの写真を見せて」っていうので、その姿を写真に撮って送りました。電話の向こうですすり泣きが聞こえました。
 

 

次女は私が仕事で忙しい時も、ダンと一緒に私の帰りを待っていたので、弟を亡くした気持ちだったと思います。


ずっと一緒にいたいけど、そういうわけにもいかず、家からさほど遠くないペット霊園に連絡しました。

 

 

そしてとても優しそうな目をした男性が、引き取りに来てくれて、ダンの亡骸を大事に大事に預かって下さいました。

 

 

数時間後、骨壷に入れられて戻ってきました。「とてもしっかりしたお骨でしたよ。病気もなかったようですね。」と優しい目をした男性が、よりやさしい声で伝えてくれました。

 

 

その言葉に救われました。ダンは幸せだったんだって。命を全うしたんだって。生前は健康そのものだったし苦しまずに逝けたんだって。


一通り済ませることができてから、関東出張に行けたのも、あの子の計らいだったと思いました。死に際まで飼い主のことを考えてくれてたんです。泣けてきました。


何事もなかったように仕事をこなして、家に戻る時が怖かったです。現実を受け入れたくありませんでした。ダンがいない家がこんなに静かだったなんて。。。

 

 

当たりまえにいてくれる存在の偉大さを感じました。だったら、生きてる時にもっともっとしてあげたかった。。。後悔ばかりです。


ダンが虹の橋に渡ったことは、SNSにも書かなかったし、いや書けなかったほうが正解です。ほんと近しい人だけに、聞いてもらいました。一緒に泣いてくれました。


2年経った今でも、悲しさは癒えません。時間が解決してくれるかなというレベルのものではありません。ペットロスは、経験した人でないとわからないと言いますが、ほんとその通りだと思います。


私にとって一緒にいた子は、ダンだけにしようと決めました。他の子との別れをもう体験したくないとも思うし、思い出はダンだけにしようと思います。


そして、一生ペットロスでいようと思います。いつでも思い出して、いつでも泣きたいと思っています。


そして、いつの日か会える時が来たら、思い切り抱きしめたいと思っています。それまで、精一杯生きていこうと誓いました。


2021年10月27日 ダン2回忌の日に綴る。
 


 

 

 

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