見えない勝利後のシナリオ


こうした要因を背景にイスラエル軍は、ヒズボラとの本格的な戦争に突入した。過去2度の苦戦を踏まえ、2006年以来、イスラエルは18年をかけて周到な準備を積み重ねてきた。その「成果」が、これまで出ていると言えるだろう。

特に諜報面でのヒズボラ側への浸透には目を見張る。2024年10月6日の『ワシントン・ポスト』紙によると、ヒズボラは、イスラエルによる盗聴や位置確認を避けるために、携帯電話の使用から、よりローテクなページャーへと通信手段を切り替えた。かつてポケベルと呼ばれた機器である。その際に爆弾を仕込んだページャーを売り込む作戦がイスラエルの対外諜報機関のモサドによって始められた。2022年のことである。

ヒズボラはイスラエルやアメリカ関連の企業の製品を警戒して避けていたが、それでもモサドは、巧妙に隙を突いた。台湾のアポロというメーカーとライセンス契約を結んだ企業の営業担当の女性がヒズボラ側の信頼を得て、2023年にイスラエルで制作された5千個の機器をヒズボラに納入した。今年の2月のことである。

このAR924という型番のやや大きめのペイジャーに、分解しても発見されないように巧妙に爆薬が仕込んであった。「暗号のメッセージが届いています」とアラビア語で表示が出ると、二つのボタンを操作して暗号を解除して読むという仕組みになっていた。ということは、被害にあった者は、たいていが両手を負傷しているはずである。イスラエル側は、これでヒズボラの中間レベルの指揮官3千人が死傷したと推測している。

またヒズボラが使っていた表向き日本製の無線機は、やはりモサド製で盗聴装置と爆薬が仕込んであった。こちらは2015年からヒズボラに「納入」してあった。9月17日にポケベルが一斉に爆発した。そして翌日に無線機が爆発した。

そして大規模な空爆でヒズボラのミサイル部隊を攻撃して、その発射を阻止した。イスラエル側の推定では、ヒズボラのミサイルの半数を破壊した。さらに9月27日には大型爆弾を集中的に投下してベイルート郊外のヒズボラの根拠地の地下施設を攻撃した。翌28日に指導者のナスラッラーの死をヒズボラが公表した。その後もレバノンの各地でイスラエルは激しい空爆を続けている。

そして10月1日に前述のように、陸上部隊がレバノン南部に侵攻した。翌日にイランがイスラエルに対するミサイル攻撃を敢行した。地上ではイスラエル軍とヒズボラが衝突している。ヒズボラ側の発表では10月7日の段階でイスラエル兵10名が戦死し、76名が負傷している。激しい抵抗に遭遇しているわけだ。また激しい空爆にもかかわらずヒズボラのロケット弾がイスラエル北部の港湾都市のハイファの周辺に着弾し始めた。これまで以上にイスラエル国内奥深くまでヒズボラがロケットの射程を伸ばしたようだ。ハイファは、レバノン国境よる数十キロ南に位置している。

今後の戦闘の展開は不透明だ。だがイスラエルが、同国北部の安全を確保するためにレバノン南部の一部を占領すると、今度は、その占領した地域の安全の確保のために、さらに、その周辺の新たな占領が必要になる。またヒズボラの長距離射程のロケットを止めようとすると、レバノン全土の占領が必要になる。この問題に軍事的な解決があるのならば、既に過去3度の侵攻で解決できているはずである。イスラエルは長期間かけて練り上げた精密な作戦を着々と遂行しているようだ。ただ見えてこないのは、ガザの作戦と同様に、勝利の後の構図である。

[略年表]
1970年

ヨルダン内戦、パレスチナ・ゲリラのレバノンへの移動
1978年

イスラエルのレバノン侵攻
1982年

イスラエルのレバノン侵攻
ヒズボラの誕生
2000年

イスラエル軍のレバノンからの撤退
2006年

イスラエル軍のレバノン侵攻
2011年

シリア内戦の始まり
2023年10月

ガザの爆発
ヒズボラとイスラエルの戦闘の開始
2024年9月

17日 ページャーの爆発
18日 無線機の爆発
27日 大型爆弾によるヒズボラの拠点爆撃
28日 ナスラッラーの死亡確認
2024年10月    

1日 イスラエル軍のレバノン侵攻
2日 イランのイスラエルへのミサイル攻撃