出版元の了承を得て、次の拙文をアップします。
「キャラバンサライ(第152回)バイデンの決断」、
『まなぶ』2024年8月号40~41ページ 

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7月14日、選挙演説中のドナルド・トランプの右耳を銃弾が貫通した。傷を負いながらもトランプは、右手を天に突き出して「Fight(ファイト)」と叫んだ。そして聴衆からは「U・S・A(ユー・エス・エー)」という声が上がった。

 

この事件はトランプにとって強い追い風となるだろう。何センチかの違いでトランプは暗殺を免れた。神の御加護があってこそ、と本人は語っている。トランプの支持者たちも、そう思うだろう。トランプは、神がかってきた。

 

狙撃事件の48時間後には共和党大会が開かれた。そこでトランプは健在ぶりをアッピールした。そして副大統領候補にJ・D・バンス上院議員を指名した。バンスはオハイオ州から2年前に上院議員に当選したばかりで、まだ39歳である。白人ブルーカラー層の出身だ。両親は離婚しており、経済的には恵まれない境遇で育った。海兵隊に応募してイラクでの生活を経験している。除隊後、エール大学の法科大学院に進学している。貧困からはいあがったみずからの経歴をつづった書籍を出版し、それがベストセラーとなり世に知られるようになった。共和党はこのトランプとバンスのチームを指名して11月の大統領選挙に向けて攻勢に出ている。

 

受けて立つ現職のジョー・バイデン大統領の民主党は混乱していた。6月末に行われた大統領候補者同士のテレビ討論会でのバイデン大統領のできが余りにもひどかったからだ。

 

その後もバイデンは、ウクライナのゼレンスキー大統領を「プーチン大統領」と呼んだり、みずからの副大統領のハリスを「トランプ副大統領」と言及したり、言い間違えをつづけた。これでは大統領選挙は勝てない。また、大統領選と同時に投票のある上下両院の候補者たちが道連れで敗退してしまう。バイデンには降りてもらって、新たな候補者を立てるべきとの声が民主党内で強くなった。

 

バイデンは、辞退など眼中にないとの姿勢だったが。各筋からの強い圧力を受けて7月22日に再選を求めないと発表した。そして副大統領のカマラ・ハリスを民主党の大統領候補に推薦した。

 

思い出すのは、1968年の同じ民主党のリンドン・ジョンソン大統領だ。

 

1964年の大統領選挙で大勝したジョンソンは、アメリカのベトナム介入を拡大させた。戦局は膠こうちゃく着し、多くのアメリカ兵が戦死した。ジョンソンは不人気な大統領だった。それを理解したジョンソンは、2期目には出馬しなかった。

 

ジョンソンは、国内では公民権法を成立させ、有色人種の地位向上に大きく貢献した大統領である。再選を断念して好印象を残した。もし再選を求めて敗北していたならば、晩節を汚す結果となったろう。

 

バイデンは、ジョンソンのように身を引いた。トランプの再選を一度は阻止し、コロナ後の復興に尽力したとの評価を受けるだろう。バイデンの名誉ある撤退宣言は、その半世紀に及ぶ政治家人生で、最大の決断だった。

 

問題はカマラ・ハリス副大統領の下で民主党が団結できるかである。そして、ハリスが8月のシカゴでの民主党大会で候補者指名を受けた場合に、トランプに勝てるかどうかだ。

 

最初の問題は副大統領候補の選択だ。だれになるだろうか。選挙戦術的には早期に指名して、副大統領候補の知名度を少しでも高めるというのが、一つの考え方だろうか。逆に、副大統領候補の指名というのは、大きなドラマだけに、マスコミの注目を集める。そこで、できる限り、このプロセスを引き伸ばしてメディアを共和党から引き離し民主党側に引き寄せるという戦術も想定されるだろうか。

 

候補としては民主党の州知事たちの名前が挙がっている。たとえばカリフォルニア州のニューサム知事だ。しかしハリスも同州の出身だ。となると激戦州のミシガンやウィスコンシンなどの知事が望ましいとの計算もある。いずれにしろ、ハリスの母方はインド系だ。また共和党の副大統領候補のバンス上院議員の夫人もインド系である。なにやらカレーの香のする辛目の選挙となりそうだ。

 

-了-