2006年のレバノン戦争

 

さてイスラエル軍がレバノン南部から撤退すると、ヒズボラはイランの支援を受けて、ミサイルを装備するようになった。ちょうどイランの核問題が浮上したころである。

 

長年にわたりアメリカやイスラエルは秘密裏にイランが核兵器を開発しようとしているのではないかとの疑惑を抱いていた。アメリカ国務省によれば、イランが海外で調達している機器が核兵器の開発を示唆していた。しかしながら、アメリカの諜報当局は、その「示唆」を裏付ける証拠の提示を拒んでいた。

 

ところが2002年にイランの反体制組織である。モジャヘディーネ・ハルクがイランが大規模な核開発を進めている状況を示す衛星写真を公開した。これによってイランの核開発という疑惑が表面化した。

 

この組織が、いかにして衛星写真を入手したのかは不明である。この組織は王制下で反シャー(国王)運動を始め、多くのメンバーが当局との戦闘で死亡している。また、この時期イランにいたアメリカ人の軍事顧問を暗殺するなど果敢な都市ゲリラ活動で知られていた。イラン革命期に公然と活動を開始したが、革命成就後の権力闘争に敗れイラクに亡命して同国の独裁者サダム・フセインの庇護を受けた。そしてイラン・イラク戦争では、イラク側に立って戦った。これによってイラン国内での支持基盤を失ったと見られている。

 

それでも残存しているイラン国内の地下組織が情報を入手したのか。あるいは、アメリカもしくはイスラエルの諜報当局、はたまた、その一部が、情報を渡してモジャヘディーネ・ハルクに公開させたのか。

 

2002年というのはアメリカがアフガニスタンでの戦争を始めた翌年だった。そしてイラクでの戦争を始めた前年でもある。イランを挟むアフガニスタンとイラクの厳しい状況の時期のイラン核問題の表面化だった。

 

イランは核不拡散条約の締結国であるので、その核開発を国際原子力機関に申告する義務がある。イランの秘密裏の核開発は、その義務の違反である。イランは平和利用のための開発だと主張したが、国際社会は疑惑を抱いた。

 

そしてイランに対する経済制裁が国連安保理によって発動されるなど、この問題が中東における国際問題の焦点の一つとなった。特に懸念されてきたのが、イスラエルの対応である。イスラエルが、イランの核開発を阻止するため、イランを攻撃する可能性が語られるようになった。

 

万が一、イスラエルがイランを攻撃した際には、当然ながら同国からの反撃が想定される。しかしながらイランにはイスラエルを攻撃するに十分な通常の航空戦力は保有していない。おそらくはイランはミサイルやドローンで反撃するだろう。2024年4月にイスラエルがシリアの首都ダマスカスのイラン大使館を爆撃した。外交施設は国際法で保護されている。これ以上はないほどの明確な国際法の違反だった。イスラエルは、それまでもイラン国内で数多くの科学者を殺害するなどのサボタージュを行ってきた。イランは反応せざるを得なかった。何百発ものドローンやミサイルがイスラエルに向けて発射された。その詳細には触れない。ここではミサイルやドローンによるイランからの直接の反撃が予想される点を指摘しておくにとどめたい。ただ、その規模は今年4月の攻撃を大幅に上回るだろう。

 

もう一つイスラエルが考慮しなければならないのが、イランの同盟者たちによる反撃である。イエメンのフーシー派などが、対イスラエル報復に参加するかもしれない。フーシー派は、すでに実質上はイスラエルと戦争状態にあるので、攻撃の強化との表現が適切だろうか。

 

イスラエルが特に警戒しなければならないのが、隣人ともいえるヒズボラからの攻撃である。イランが巨額と投じてヒズボラのミサイル戦力を育成してきたのは、イスラエルをけん制するためである。

 

となればイスラエルからしてみると、イランとヒズボラの両方に対応する必要が出てくる。イランと対決する前に、まずヒズボラを「片付けよう」との発想が出てきてもおかしくない。

 

そうした認識を背景として2006年イスラエルはヒズボラを攻撃した。イスラエル空軍は激しい爆撃でヒズボラの拠点ばかりでなくレバノンという国家の経済インフラを破壊した。

 

この激しい爆撃に対してヒズボラはミサイルを発射して反撃した。イスラエル空軍の猛爆にもかかわらず、ヒズボラのミサイルは止まらなかった。空爆だけではミサイルの問題を解決できないと悟ったイスラエルは陸上部隊をレバノンへと侵攻させた。

 

しかしながら、イスラエル軍部隊はヒズボラの待ち伏せにより大きな損害を出した。この段階でイスラエルはヒズボラの壊滅という目標を放棄した。停戦が成立して34日間にわたる戦闘が終わった。ヒズボラもレバノンも大きな損害を受けたが、イスラエルも戦争目的を達成できなかった。イスラエルにとってヒズボラ問題が残されたままでの停戦だった。

 

比較的に狭い地域であるレバノン南部からのミサイル攻撃を、激しい空爆でも阻止できなかった意味は特に重いい。イスラエルは一日に百発程度のミサイル攻撃を受け続けた。ヒズボラのミサイル戦力は、その後も量的にも質的にも拡大を続けている。

 

狭いレバノン南部のミサイル部隊を制圧できなかったイスラエル軍は、昨年10月からのガザでも同じような課題に直面している。陸海空からの猛爆にもかかわらず、はるかに南レバノンより狭いガザ地区からのハマスのミサイル攻撃を未だに完全には止め切れていない。砲爆撃だけではミサイル攻撃を止められないのは明らかである。将来イスラエルが、仮にイランとの全面対決を決断した場合には、遠隔地にあり、はるかに広大な国土のイランからのミサイル攻撃を止められるだろうか。長期にわたるイランからのミサイル攻撃を覚悟する必要があるだろう。そしてレバノンからのミサイル攻撃もである。2006年のヒズボラとイスラエルの戦争のメッセージである。

 

>次回につづく