以下を出版元の承諾を得てアップします。

「キャラバンサライ(第149回)南アフリカとイスラエル」、

『まなぶ』2024年5月号42~43ページ

 

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5月になると、イスラエルは建国76周年を祝う。そして、南アフリカでは、故ネルソン・マンデラ大統領の就任30周年を迎える。マンデラは、アパルトヘイト(人種隔離)体制の崩壊後に登場した最初のアフリカ系の大統領である。2023年、この南アフリカがイスラエルを、ガザでジェノサイドを行っているとして国際司法裁判所に訴えた。なぜ、南アフリカがイスラエルを訴えたのだろうか。なぜ、南アフリカなのだろうか。

 

南アフリカでのアパルトヘイトと呼ばれた人種隔離政策の下で、少数の白人が多数の有色人種を支配していた。その南アフリカがイスラエルを訴えたのは興味深い。イスラエルは、このジェノサイドばかりでなく、アパルトヘイト的な体制を構築し、維持していると非難されているからである。

 

国際的に認められた国境線内に約1千万人のイスラエル市民が生活している。そのうちの750万人がユダヤ人である。つまりユダヤ教徒である。200万人は先住のアラブ人である。つまりパレスチナ人だ。多くはイスラム教徒そしてキリスト教徒である。残りの50万人は、その他の宗派に属している人々などである。200万人のパレスチナ人は、一応はイスラエル市民である。しかし、さまざまな差別を受けており、とてもユダヤ人と平等とは言い難い。二級市民的な地位にある。

 

また、国際法上の占領地であるガザ地区とヨルダン川西岸地区には、あわせて550万人ほどのパレスチナ人が生活している。イスラム教徒とキリスト教徒である。

 

ガザは長年イスラエルによる封鎖下にあり、現在はイスラエルによる攻撃下にある。またヨルダン川西岸地区の大半がイスラエルの支配下にある。わずかにバラバラに分断されて狭い地域で自治が行われている。しかし、イスラエルによるパレスチナ人の土地の収奪、ユダヤ人の入植、パレスチナ人の殺害などが激化している。そして、多くの検問所が設けられパレスチナ人の移動にはきびしい制限がかけられている。また、入植地と入植地、そしてイスラエルを結ぶ道路網が建設されている。その道路の多くはユダヤ人の専用道路であり、パレスチナ人には利用が許されていない。アパルトヘイト時代の南アフリカを彷彿させる人種隔離体制が構築されている。

 

そのアパルトヘイトから解き放たれた国である南アフリカが国際司法裁判にイスラエルを訴えたのは、偶然ではない。しかも、南アフリカの解放運動とパレスチナの解放運動の間には、深いつながりがあった。

 

南アフリカの解放運動の主体であったANC(アフリカ民族会議)が、まだ非合法団体として祖国で弾圧されていたころ、そして日米欧の「先進」諸国が、このアパルトヘイトの南アフリカとの貿易で利益をむさぼっていたころ、パレスチナ人の組織であるPLO(パレスチナ解放機構)はA NCに対する協力を惜しまなかった。ANCの戦士たちはPLO支配下の難民キャンプで軍事訓練を受けた。解放された南アフリカのマンデラ大統領が最初に会談した一人がPLO のヤセル・アラファト議長だった。

 

逆に、南アフリカのアパルトヘイト政権は、長年イスラエルと密接な関係にあった。

 

一つには、南アフリカには有力なユダヤ人社会が存在したからだ。たとえば、南アフリカでのダイヤモンド採掘などにユダヤ人資本の企業が関与している。両国は核兵器の開発でも秘密裏に協力していた。両国は、1970年代に南アフリカが支配していた隣国のナミビアの砂漠で核爆発実験を行ったと推測されている。なお、南アフリカは、アパルトヘイト体制の解体の際に核兵器を放棄した。このように、南アフリカとイスラエルの二つのアパルトヘイト政権は、同盟関係にあった。

 

そして、それに対抗するかのように、ANCとPLOの二つの解放運動も、長年にわたる深い協力関係を維持していた。こうした歴史的な経緯を踏まえると、イスラエルを提訴した国が南アフリカなのは当然であり、必然である。ANCは、苦しかった時代のパレスチナ人の暖かい支援を決して忘れてはいないからだ。

 

-了-