戦争未満の武力行使

 

ここまで、1991年の湾岸戦争、01年のアフガニスタン戦争、03年のイラク戦争と、アメリカ政府が議会のお墨付きを求めた戦争を列記してきた。むろん、それ以外の軍事力の行使がなかったわけではない。99年、当時のビル・クリントン大統領は旧ユーゴスラビアの内戦に軍事介入した。だがクリントンは議会の承認を得なかった。

 

また、03年のイラク戦争の開戦以降も、アメリカによる軍事力の行使の例には事欠かない。現在も、イエメンのフーシー派に対する攻撃を行っている。しかし、バイデン大統領は議会の承認は求めていない。議会も強い反発は示していない。どこまでが議会の承認を要しない武力行使で、どこからが議会の決議を必要とするのか、その線引きに関してはホワイトハウスも議会も立場を明確にしてはない。どの規模の武力行使が戦争で、どの規模までが戦争未満なのか。漠然としている。

 

もう一例をあげると、2011年にNATO(北大西洋条約機構)軍がリビアに介入した。アメリカもNATOのメンバーとしてこの介入に関与した。146回もの爆撃をアメリカは行った。オバマ大統領は、この作戦に関して議会の事前の承認を求めなかった。宣戦布告は議会が行うという憲法の規定も、大統領の戦争指導に制限をかけた戦争権限法も、あたかも存在しないかのようであった。

 

リビアには、アメリカ空軍に対抗するほどの空軍力はなかった。アメリカ機を脅かすほどの対空ミサイルも保有していなかった。アメリカ人の命を危険にさらさない介入だった。それゆえオバマは議会の承認を求めず、議会も強くは反発しなかったのだろうか。その後リビアでの介入が長引くと、オバマ政権はこの問題で議会との接触を深めはしたのだが。

 

  こうした例は、この介入の前にも後にも数多く行われた。議会に止める気がなければ、憲法も戦争権限法もホワイトハウスにとってなんの規制にもならない。当たり前の事実だが、念のために確認しておきたい。戦争あるいは武力の行使そのものが悪であるとの発想や認識は、アメリカの政治制度には、そもそも希薄である。

 

サイバー攻撃

 

さて、2001年のアフガニスタン戦争の頃から、新しい形の軍事介入が始まった。それは、憲法の起草者たちが想像もしなかった方法での介入である。たとえばサイバー攻撃である。また、ドローンによる爆撃や標的殺害である。まず、サイバー攻撃の例を紹介しよう。

 

2010年、イランのナタンズにあるウラン濃縮施設でウランを濃縮するための遠心分離装置が異常をきたし、多くの装置が壊れるという事件が起きた。ナタンズはイラン高原の中心部に位置している。イランは、ナタンズの地下深くに建設されたウラン濃縮施設で多数の遠心分離機を稼働させてウラン濃縮を進めてきた。イランは、ウラン濃縮を含め核開発は平和利用のためとしているが、イスラエルやアメリカなどは、その軍事転用を疑っている。

 

このウラン濃縮施設になんらかの方法で外部から送り込まれたコンピューター・ウィルスが、遠心分離装置を制御していたドイツのジーメンス社製のコンピューターを狂わせ、多くの遠心分離機が破損したわけだ。

 

このサイバー攻撃は、アメリカがイスラエルやヨーロッパ諸国として共同で実施したものだ。もちろん宣戦布告とか議会の承認とかは、縁のないところで行われた秘密作戦である。こうしたアメリカによる秘密作戦の例も、第2次世界大戦後には数知れずある。その中で、この攻撃の特徴は、サイバー攻撃であった点だ。アメリカ自身、サイバー攻撃を受ければ戦争行為とみなすと宣言しているにもかかわらず、アメリカが他国に対してサイバー攻撃という戦争行為をなんの布告もなしに実行したわけだ。

 

また、強調しておきたい点は、この秘密作戦の標的が核関連施設だったという事実だ。この攻撃は核関連施設に対する最初のサイバー攻撃として歴史に記録されるだろう。当時ロシアが批判したように、重大な事故にもつながりかねない事件だった。

 

>次回に続く