以下を出版元の承諾を得てアップします。
「沈黙する合衆国憲法下で進行する危機」、
『まなぶ』2024年5月号20~26ページ 予定
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史上最強の軍事大国アメリカで、今年11月に大統領選挙が予定されている。前回の選挙で敗れたドナルド・トランプが共和党の候補者指名を受けるのが、現段階で確実視されている。本選挙の行方はもちろんわからない。しかしながらトランプが大統領に復帰する可能性が出てきた。強くなったと表現してもよいだろうか。行動予測がむずかしいとされるトランプが大統領として戻ってきた場合、突然に戦争を始めたりする可能性はないだろうか。懸念の声が上がっている。本稿では、そもそもアメリカの憲法では、戦争の権限をいかに規定しているのか、そして、その規定が、どのように解釈され運用されてきたのかをふり返りたい。
宣戦布告は議会の権限
アメリカ合衆国の憲法は、一方で軍の総司令官、つまり最高指揮官の地位を大統領に与えながらも、他方で、宣戦布告の権限は議会に与えている。憲法を起草した建国の父たちは、戦争という国民の血を流し、税金を使う行為に関する決断を、大統領一人だけに委ねるのをよしとしなかったからだ。したがって他の問題と同様、戦争指導に関しても、アメリカではつねに行政府というかホワイトハウスと、立法府つまり議会との間に緊張関係がある。この緊張関係で大統領の手をしばり、戦争という選択に慎重にならざるを得ないような仕組みにしたわけだ。
したがってアメリカが公式に戦争を開始する場合には、議会が宣戦布告を行う。たとえば1941年12月にハワイ真珠湾が日本海軍の攻撃を受けると、当時のフランクリン・D・ルーズベルト大統領は議会に、日本に対する宣戦の布告を要請した。議会は圧倒的多数の賛成票で大統領の求めに応じた。
だからと言って、議会の承認がなければアメリカが戦争を始めないわけではない。真珠湾攻撃が始まると、アメリカ軍は議会による宣戦布告など待たずに応戦した。宣戦布告前にすでに戦争状態に入っていたのだ。
「帝王的な大統領制」
第2次世界大戦後にアメリカが想定していた戦争の形は、ソ連による奇襲攻撃を受けての開戦である。現代は戦争を含め、すべてが忙しくなっている。もちろんソ連のミサイルが向かってきているのが判明すれば、アメリカは即座に対応する必要が出てくる。事前の議会の承認とか宣戦布告の手続きを踏むなど、不可能である。大統領という最高司令官が決断を下す。こうした攻撃を受けた場合の原則は明白である。だが問題は、アメリカが攻撃を受けていないのに軍事力を行使する場合である。
第2次世界大戦後、アメリカは世界各地で軍事的に介入した。たとえば朝鮮戦争であり、ベトナム戦争である。いずれも直接にアメリカが攻撃を受けたのではない。アメリカが支援する韓国が、あるいは南ベトナムが攻撃を受けたのがきっかけだった。アメリカ軍は大規模な軍事力の行使を行った。いずれの戦争においても議会による宣戦布告は行われていない。
朝鮮戦争への介入において議会からの強い反対は起こらなかった。ベトナム戦争においても、その途中までは。議会が大統領の行動をしばろうとの動きは弱かった。議会が大統領の戦争指導の権限に制限を加える前提は、当然ながら、議会と大統領の意見の対立である。議会が大統領と同じ考えであれば、制限などかけるはずもない。
冷戦期には、安全保障のためには強い大統領が求められるとの発想が議会にも強く、議会には大統領の手をしばろうとの動きは鈍かった。大統領の権限はだんだんと強くなった。強い権限を与えられた大統領は、「帝王的な大統領」と表現されたほどだ。
>次回につづく