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「キャラバンサライ(第145回)映像とパレスチナ問題」、『まなぶ』2024年1月号、42~43ページ

 

 

今年の10月にパレスチナのガザ地区を拠点とする抵抗組織ハマスなどによるに攻撃が行われると、イスラエルは激しく対応した。ガザ地区に対する空爆が行われ、その後にイスラエル陸軍が同地区に侵攻した。12月初旬の本稿の執筆段階までで、2万人のパレスチナ人が殺害された。多くの遺体が、攻撃で破壊された建物の瓦礫の下に残されているので、あくまで数値は推定である。

 

殺りくの様子が現地からの映像に載せられて届く。こうした映像が、全世界的規模での即時停戦を求める運動を引き起こしている。これまでならば、殺りくされる側は、ただ殺されるだけで、映像を発信することはできなかった。ところが現在では、スマホさえあれば、映像を撮影し世界に向けて発信できる。殺される側の視点が世界で共有されるようになった。映像によって喚起された国際世論が、今回の戦争の即時停止を求める運動のエネルギーの源泉になっている。道理を求める国際世論と冷酷な国際政治の論理が、力いっぱいの綱引きを演じている。世論の強力な味方は映像である。

 

ところで、パレスチナで不条理な無慈悲な残虐行為が行われるのは今回が初めてではない。たとえば、1948年のイスラエル建国時には、70万人以上のパレスチナ人が故郷を追われ難民となった。パレスチナ人がナクバ(大災害)と呼ぶ事件である。

 

途方もない悲劇が起こったのだが、当時、世界ではパレスチナ人に対する同情が燃え上がりはしなかった。その理由のいったんは、第2次世界大戦中に数百万人のユダヤ人がヨーロッパで虐殺される事件が起こり、世界の人々がユダヤ人に同情的だったからである。

 

もう一つの理由をあげるとすると、パレスチナ人の悲劇を伝える動画が世界に出回らなかったからである。これは大きい。世界は、この悲劇を見なかったのである。

 

かつてパレスチナ問題のテレビ番組を制作した経験がある。その時に直面した課題は、このナクバの映像探しだった。写真は少しあるのだが、動画が見つからない。当時は動画の撮影が、まだ技術的にむずかしかったのか。それもあっただろう。しかし、もっと大きな理由があった。それを教えてくれているのが、『ニューヨーク・タイムズ』紙のエルサレム特派員だったトーマス・フリードマンだ。アメリカでベストセラーとなった『ベイルートからエルサレムへ』という本の著者で、同書の中で、次のように語っている。

 

動画を撮影したヨーロッパのジャーナリストはいた。だが、動画のインパクトを恐れたイスラエルの諜報当局が、空港の通関時に密かにフィルムを光にあててダメにした。ジャーナリストはヨーロッパに戻って役に立たないフィルムを発見した。イスラエル側は映像の力を十分に認識していた。

 

だが現在では、だれもがスマホを持っている。イスラエルは現地から送り出される映像を管理できなくなった。これが、今回のガザでの展開に対する国際的な抗議の高まりに貢献している。既に冒頭で述べた通りである。

 

ところで、スマホに最も縁の深い人物はだれだろう。

 

それは、この機器を普及させたアップル社の創業者のスティーブ・ジョブズだ。ジョブズの両親はアメリカ人である。だがじつは、この両親は、育ての親である。ジョブズの産みの父親はシリア生まれだ。アブドルファッターフ・ジョン・ジャンダーリーというシリアからアメリカへの留学生だ。ジャンダーリーは、理由があってスティーブを養子に出した。引き取ったのがジョブズ夫妻だった。養子に出す際に、息子を大学に進学させてくれと頼んだと伝えられている。このスティーブが長じて、アメリカ西海岸の名門のスタンフォード大学に進学した。その後にアップル社を創業し、パソコンやスマホをつくり世界を変えた。産みの親との関係は微妙だったようだ。

 

そのジョブズが、どのような感情をアラブ世界に抱いていたのかは知るよしもない。しかし、パレスチナの北にあるシリアにルーツのあるジョブズのスマホが、ガザの悲劇を世界に伝えている。

 

-了-