『月刊マスコミ市民』(2023年12月号)2~13ページに、「イスラエルによる構造的テロで爆発したハマスのテロ」として掲載されたインタビューです。同誌の許可を得てアップします。
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イスラエルとハマスの戦いが続いているが、多くの人びとはユダヤとアラブとの歴史をわからないまま戦争の行方を追っているのではないだろうか。世界最古の都市の一つであるエルサレムは、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖地とされているので、パレスチナ問題は宗教紛争だと思いがちであるが、実はそうではないようである。
国際政治学者で中東問題の専門家である高橋和夫さんに、ユダヤとパレスチナの歴史、そして今日の紛争について解説していただいた。聞き手は本誌の石塚さとし編集委員。
■ハマスのテロは構造的テロへの反発
――イスラエルとパレスチナの関係は、紀元前1000年にダビデ王がエルサレムに大国を築いた歴史に遡って語られることが多いようですが、私たちにはよく理解できません。今回の戦争を理解するには、どの辺りからの歴史をおさえておけばいいのでしょうか
高橋 パレスチナの土地をめぐっては、様々な民族や集団が争いを続けてきましたが、16世紀にオスマン帝国が支配したあたりからは安定し、ユダヤ人もキリスト教徒もイスラム教徒もそれなりに共存していました。しかし、19世紀末にヨーロッパからユダヤ人が流入し始めてから問題が起きてきたのです。ですから、紛争は何千年も前から起こったのではありません。またイスラエルが建国されてからの問題でもありません。あくまでも19世紀末からの問題なのです。
では、19世紀にヨーロッパで何が起こっていたかといえば、民族主義の高まりの中で、よそ者視されたユダヤ人に対する迫害が極めて酷くなったのです。そこでユダヤ人たちは、「こんなにいじめられるのならば自分たちの国をつくればいいじゃないか」と考え、自分たちの国をつくる運動を始めました。最初は、ユダヤ人の国であればどこでもよかったので、東アフリカとか南アメリカといったいろんな案が出ていたのですが、結局は、自分たちの祖先がいたと思い込んでいるパレスチナにつくろう、ということになったのです。
ですから、問題の根源はヨーロッパにあるのです。一つは、ヨーロッパで民族主義という考えが激しくなってユダヤ人が住みづらくなったこと。そして二つ目にはヨーロッパの帝国主義あるいは植民地主義的な発想です。ヨーロッパ人はアジアやアフリカでは何でも勝手なことができるという発想があったので、「あそこに自分たちの国をつくろう」という運動が始まったのです。普通に考えれば、すでに人が住んでいるところに行って新たに国をつくることなど無理だとわかります。いずれにしろ、19世紀以降ユダヤ人がヨーロッパから流入するようになって、現地の人たちとの摩擦が始まったのです。
その後、パレスチナを支配していたオスマン帝国が第一次大戦で崩壊し、その遺産をめぐって各国が争う中で、イギリスがパレスチナを支配することになります。それでもユダヤ人は入り続け、現地の人との摩擦がだんだん激しくなっていきます。そして、イギリスは第二次大戦で疲弊して、こういうところを統治するのはもう嫌だと投げ出してしまいます。そこで、国連がパレスチナを分割してユダヤ人とパレスチナ人の国家をつくるという案をつくるのです。ただ、当時の国連はアメリカやヨーロッパの力がとても強くて、パレスチナ側には不利な案でした。アラブの国々はそれに反対しますが、ヨーロッパ人やアメリカ人は、ユダヤ人に対して罪の意識を強く持っていたこともあり、1947年に分割案を成立させたのです。
この案をユダヤ人は受け入れアラブ人は拒否します。そして、その翌年にイスラエルが成立を宣言します。また周辺のアラブ諸国がパレスチナに侵攻してイスラエルと戦争になります。これが第一次中東戦争です。この戦争でイスラエルが勝利を収めて停戦します。その停戦時には、イスラエルは、国連の分割決議よりも広い地域を支配していました。そして70万人以上のパレスチナ人が追い出されて難民となって周りの国に散っていったのです。特に、戦争の結果、ヨルダンが支配することになったヨルダン川西岸地区とエジプトが支配することになったガザ地区に多くの難民が流れていきました。結局パレスチナ人が支配する土地は残っていませんでした。そして、1967年の戦争で、今度はパレスチナ全土がイスラエルの支配下に入りました。
そういう歴史的背景の中で、今でも基本的にはイスラエルの占領状態が続いています。そして、一方ではヨルダン川西岸地区にはどんどんユダヤ人の入植地ができています。他方のガザ地区は人口密度が高くて手に負えないということで、2005年にはイスラエル軍と入植者が撤退します。そして、2006年に選挙をやったらハマスが勝ってしまったのです。しかし、パレスチナ自治政府はハマスに権力を渡さなかったのです。そして2007年に、ガザでは同自治政府とハマスが軍事的に衝突し、ハマスが勝利を収めます。以降、ガザをハマスが支配しています。そしてイスラエルはハマスの支配するガザを封鎖してしまいます。
2007年から現在まで、ガザは基本的に封鎖されていて、出入り口をイスラエルとエジプトが押さえているのです。だから、ガザは「世界最大の天井のない監獄」と言われています。監獄であれば刑期を終えれば出られますが、ガザの人はずっとそこにいなければなりません。だから監獄以下であって、私は世界最大の強制収容所だと思っています。生活環境は悪い、失業は多い、貧困も多い中で、ものすごい不満がずっと高まっていたのです。ですから、そのうち爆発するなとみんな思っていたのですが、それが先日に爆発したということです。今年の10月7日からの話を始めればハマスが悪いに決まっていますが、実態はずっと前から続くイスラエルという国家による構造的テロへの反発としてハマスのテロが起きたと見ていいと思います。
■不動産争いであり、地上げの話
――私を含めて多くの日本人は宗教や民族に疎くて、イスラエルとパレスチナの争いはユダヤとアラブの対立と考えていると思います。また、それはイコール、ユダヤ教とイスラム教の対立と見ている人が多いと思いますが、その辺がイコールになるのでしょうか。
高橋 実は、イコールにならないのです。一つは、パレスチナ人の大半はイスラム教徒ですが、それなりにキリスト教徒もいるのです。キリスト教はヨーロッパやアメリカで起こったのではなくてパレスチナで起こったのです。最初にイエスの教えに従ったキリスト教徒の子孫、言ってみれば元祖キリスト教徒が今もパレスチナにいるのです。「ユダヤとイスラムの争い」と言ってしまうと、中東にかなりいるキリスト教徒を切り捨てることになってしまうのです。
二つ目は、イスラム教ができたのは7世紀ですから、まだ1500年しか経っていないのです。ですから2000年以上前にできたユダヤ教やキリスト教と宗教で争っているはずはないのです。これが、二つ目のポイントです。
三つ目は、ユダヤ教徒とイスラム教徒とキリスト教徒は、「お前の宗教が間違っている」とか「俺の宗教が正しい」と言って争っているわけではありません。それぞれの教徒が自分の宗教が絶対に正しいと思うのは当然です。あくまでも、争っているのはパレスチナという土地であり、エルサレムという不動産は誰のものか、という争いです。その争っている人たちが、たまたま宗教が違うだけのことであって、基本的には不動産の争いであり、地上げの話なのです。
宗教の話だとすれば絶対に解決することはありません。多くの人は宗教の話だと思っていますが、もし宗教の話ならば解決する希望はなくなってしまいます。ユダヤ教が半分正しくて、イスラム教が3分の1正しい、などという話はあり得ません。でも、実は宗教の争いではなく不動産の話ですから、分割すれば済む話なのです。
――政治の面で見ますと、ガザ地区やヨルダン川西岸地区、いわゆる自治区と言われている地域は、どの程度自治が機能しているのでしょうか。
高橋 ガザの場合はハマスが全部仕切っていますので、自治区であることは確かです。ただ、完全に囲まれているので、外との出入りができないという意味では、基本的にはイスラエルの占領状態だと言えます。刑務所の中では自由だけど鍵は向こうが持っている、という状態です。
ヨルダン川西岸地区については、日本の新聞やマスコミはみんなヨルダン川西岸を自治地域として示しています。また日本の外務省のホームページもそうです。ですから、読者・視聴者は当然ヨルダン川西岸地区の全体が自治区だと思ってしまいます。でも、実際の自治区はヨルダン川西岸地区全体ではなくて、ほんの一部にすぎません。私は、マスコミ各社に、そういう地図を示すのは実態と違うのでやめてほしいと頼んでいるのですが、あまり成果が挙がっていません。「パレスチナ子どものキャンペーン」というNPOのサイトの地図が正確なので、その地図を確認していただくといいと思います。ここに示されている地図が、パレスチナ自治区の実態を示しています。実際の自治区は、極めてまばらな地域になっているのです。
パレスチナはヨルダン川西岸地区とガザ地区に分かれ、両地区がパレスチナ自治区とされている。しかし、イスラエルの入植活動等により年々実質面積が縮小し続けている。特にヨルダン川西岸地区は、メディア等が示す地図全体が自治区ではなく、自治区はその中に点在するようになっている。現在でもその範囲は狭められている。)
(出典:パレスチナ子どものキャンペーンHP)
――「パレスチナ子どものキャンペーン」のサイトに書かれている1948~67年の地図のパレスチナの部分が一般的にはパレスチナ自治区だと思われていますが、事実上は2012年の地図に書かれているのが正しい自治区の範囲ですね。
高橋 実際には、もっと小さいと思います。1993年のオスロ合意でパレスチナが自治を始めることをイスラエルと合意して自治区はできたのですが、それはスイスチーズの穴みたいな状況です。しかも自治区は二つに分かれていて、パレスチナ側が完全に支配している地域とイスラエルとの共同管理地域があるのです。共同管理地域は、警察権がイスラエルで民生権はパレスチナ側が持っています。学校のカリキュラムとかゴミの収集を週何回やるなどはパレスチナが決められるのですが、肝心な部分はイスラエルが押さえているのです。
――それは、ヨルダン川西岸地区の中で分かれているということですか。
高橋 分かれています。しかも、イスラエルが押さえている地区がどんどん広がってきていて、パレスチナ人の土地を奪っています。現状と異なる地図をマスコミが使うので、みんな誤解してしまうのです。新聞社の外報部にも、事実を的確に把握していない方がいるようです。
――パレスチナ自治区がどんどん小さなエリアになっているのは、入植によってそうなっていったからでしょうか。
高橋 基本的には、全部イスラエルが支配していたわけですが、オスロ合意で少し返してあげようということになって、それが少し広がっていったのですが、そこで止まっているのです。共同管理地域に住んでいるパレスチナ人の土地を取って、ユダヤ人がどんどん入ってきている状況です。
――そうすると、事実上の自治区とはいえないのですか。
高橋 自治区ではありませんね。町内会みたいなものです。飛び地のようになっている自治区の間を移動しようとすると、そこには検問所があるのです。そこでイスラエル兵が、身分証明書を調べ、「なぜ行くんだ」とか、「行かなくていい」とか言われて、すごく意地悪をされるのです。学校にも自由に行けない、病院に行こうとしてもイスラエルが行かせない例もあります。本当に身動きもとれないのです。日々パレスチナ人の生活は脅かされているのです。そういうことに対する不満が今回爆発したのです。だから、「イスラエルによる構造的なテロに対するハマスのテロ」というのが私の見方です。
■アメリカが変わっていく可能性
――テレビの報道などでは、よく「入植」という言葉が使われますが、入植というのがどうして許されているのですか。
高橋 国際法上占領は違法であって、占領している所に入っていくのも違法です。それこそ戦前の満蒙開拓団みたいなものです。違法なのですが、それを非難する国連安保理決議を通そうとすると、アメリカが拒否権を行使して守ってきたのです。では、なぜアメリカはそんなに国際法違反の行為を守ってきたかといえば、アメリカ国内にイスラエル支持者が多くて、政治家はみんなイスラエルに厳しくあたると次の選挙が危ないと思っているので、怖くて動けないのです。
――アメリカの国内でイスラエルと繋がっているのはユダヤ系の人とキリスト教福音派の人だと言われていますね。それは共和党の支持基盤ではないのでしょうか。
高橋 ユダヤ系の人は、その4分の3は基本的に民主党支持です。福音派の白人は、圧倒的に共和党支持者が多いですね。
――ユダヤ系の人が民主党支持なので、バイデンも動きが取れないということですか。
高橋 そうですね。アメリカでは大統領とか、大統領を目指すような大物政治家は、何かあった時には「まずイスラエルが正しい」と発言するのが政治的な条件反射です。それが政治的に生き残る道だとみんな思っていて、そうしない政治家はすごい圧力を受けるのです。例えば、オバマさんが大統領になった時に「入植地の凍結」を言いましたが、すごい突き上げを受けて、そのうち入植地の凍結要求の凍結みたいになってしまいました。最後は何も言わなくなりました。
――そうなると、今回の戦闘状態を収拾する道はあるのでしょうか。
高橋 イスラエルの攻撃によってガザの一般の人々の被害が酷すぎます。とりあえず停戦してもらわないといけません。ただ、イスラエルは「停戦したらハマスが生き残って、またテロを仕掛けてくる」「ハマスを根絶やしにするまでやる」と言っています。でも、国際社会の大半は、「とは言っても、民間人の犠牲も多過ぎるからやめろ」と言っています。アメリカだけはそれを言わないので、イスラエルはアメリカ製の爆弾で軍事作戦を続けています。基本的には、イスラエルが変わるか、アメリカが変わるしかありません。
イスラエルが変わる可能性はすごく低いと思います。では、アメリカが変わる可能性はというと、実は少しだけ見えている気がするのです。福音派はまったく変わりませんが、アメリカのユダヤ系の人たちの間では、特に若い人たちはイスラエル政府に批判的です。イスラエルの存在を否定するものではありませんが、イスラエルが良い国でいてほしいので、イスラエルの行動を批判する声がかなり挙がってきていますね。
もう一つは、アメリカにもイスラム教徒やアラブ人が増えていて、そういう人たちがすごく声を挙げているのです。その人たちは基本的には民主党を支持しているので、バイデンはそれを気にし始めました。まだ「停戦」とは言ってないけれども、人道的一時停戦というのか、「撃ち方止め」みたいな言い方をし始めました。人道物資をもっと入れようと言っていますし、インターネットをイスラエルが切ったら回復させるようにと圧力をかけました。アメリカのイスラム教徒やアラブ人は、みな怒っています。イスラム教徒の人たちは、数はまだユダヤ人の半分の350万ぐらいです。しかしアラブ人の大きなコミュニティの存在で知られるミシガン州は大統領選挙のときに民主党と共和党の支持が拮抗しているスイング・ステートと言われる州です。どっちに揺れるかで選挙の行方が決まると言われている州のひとつです。2020年はバイデンがミシガンで勝ったけれど、2016年はトランプが取りました。だから今度も絶対取らないと危ないのです。自動車労働者のストにバイデンが応援に行ったのはそういう事情からです。
2016年の選挙は、トランプは1万1千票にも満たない票差で勝っているので、ほんのわずかの差です。アメリカのイスラム教徒がトランプに入れることはありませんが、バイデンに投票しないで棄権すると非常に痛手になります。そういうことを考え、バイデンはこの頃パレスチナ側に気を遣い始めているのだと思います。ただ、長い目で見たらアメリカの政策は変わると思いますが、今のバイデンの政権下で変わるかどうかはわかりません。
――「イスラエルが変わる可能性はすごく低い」とおっしゃいましたが、以前のイスラエルは労働党の力も結構強かったと思います。しかし今は、ネタニヤフが極右と連立を組んでどんどん右傾化していますし、良い方向への変化は望めないのでしょうか。
高橋 イスラエルは、ヨーロッパの帝国主義や民族主義の影響を受けていることもありますが、基本的には東ヨーロッパの人が来てつくった国であって、東ヨーロッパの社会主義的な考えを持ち込んでいました。だから、とても社会主義的な国だったのですが、アジア、アフリカのイスラム諸国にいたユダヤ人が入ってきたことと、冷戦後に旧ソ連圏のロシアやウクライナから100万人くらいのユダヤ系の移民が入ってきたことで、ソ連の共産主義にウンザリしていた人たちが労働党を嫌ったのです。それでネタニヤフが首相になり、だんだんネオリベラリズムの弱肉強食的な経済政策を取り入れていきました。そうした政策によってイスラエルはハイテクで成功していき、徐々に社会主義的な考え方は薄れてきたのです。昔は、総理大臣になるのはキブツ(イスラエル固有の共同農場)出身といった人たちでしたが、今はそうではないですね。
それから、宗教的な人がだんだん増えてきました。イスラエルの宗教的な人たちは何もしないで聖書の勉強と子どもをつくるのが仕事みたいな人たちです。世俗的な人よりもそういう宗教的な人たちの人口がどんどん増えていきました。それで、イスラエルはどんどん右へ傾いていったのです。
――ここ10年、20年で、国内の状況はかなり変わってきたのですね。
高橋 雰囲気が変わってきていますね。何だか、ある面では、とてもロシアっぽくなってきたように感じます。また宗教色が強くなってきました。
■政治的問題に軍事的解決はない
――最後に、日本の役割について伺います。10月27日に、国連総会で「人道的休戦」を求めるヨルダンからの決議案を120カ国の賛成多数で採択しました。とりあえず停戦をしろという呼び掛けに多くの国が呼応する中で、アメリカやイスラエルは反対して、40カ国が棄権しました。その中には日本も入っていました。国際紛争を解決する手段として武力を行使しないという平和憲法をもつ日本が、和平の提案に賛成をしないという状況をどう見ればいいのでしょうか。
高橋 アメリカ、イスラエルに配慮したのだと思いますが、おそらく国民の大半は戦争をやめてもらった方がいいと思っているはずです。民主国家の外交ですから、国民の意見を反映した外交をやるのが政府の義務だと思います。そういう意味では、私は賛成に投票してほしかったと思います。賛成に投票することが反アメリカ、反イスラエルになるのかといえば、アメリカだってイスラエルだってやめた方がいいと思っている人はたくさんいるのです。イスラエルが悪いとか、アメリカが悪いとかいう問題ではないのです。「イスラエルかハマスか」という問題の立て方が間違っていて、命を守るか守らないか、戦争か平和かで考えるべきです。そうであれば、日本は平和の方に、命を守る方に、投票してほしかったというのが感想です。
それから、欧米はユダヤ人を殺してきた国々ですから、イスラエルにはモノが言いにくいという感覚があるのです。しかし、日本はそういう遠慮は必要ないのです。欧米ではイスラエル支持の政治的圧力もありますが、日本にはそれもありません。そう考えると、岸田さんはもう少し勇気を持つべきではなかったかと思います。
それから、この問題に関しては、日本政府はハマスのテロは批判しつつも、イスラエルの占領の継続を批判すべきです。国際法に反していると言わないようでは、ロシアに「北方領土を返してください」とは言えません。ロシアに、「イスラエルが占領してもお前は何も言わないじゃないか」と言われてしまいます。占領は、イスラエルがやるから悪いとか、ロシアがやるから悪いとかではなく、占領は悪いのだという原則を通していくのが日本外交のあるべき姿だと思います。それは、中東でもウクライナでも北方領土でも竹島でも同じです。
私は、右翼の人こそイスラエルを批判してほしいと思うのです。普遍的価値については、場合、場合によって使い分けてはいけません。また実利的に考えても、日本の石油の90%以上がアラブ諸国から来ているのですから、アメリカにくっ付いていればすべてOKということではありません。そういうことも考えていただきたいと思います。
――今の先生のお話の中にありましたように、ヨーロッパにはユダヤ人を殺した負い目があるのは確かですが、ホロコーストであれだけの酷い経験をしているユダヤの人たちが、2008年ぐらいから2年おきぐらいにガザを爆撃しています。なぜそういうことが平気でできるのか、あの悲惨な経験があれば普通はできないと思うのです。
高橋 人間の心理というのは複雑なものですね。自分がいじめられたから絶対に他人にはしたくないという人と、自分がいじめられたから、いじめて当然だと考える人がいるのです。ユダヤ人の中にも、自分もホロコーストの犠牲者だから、イスラエルが酷いことをやっているのにホロコーストの名前を使わないでくれという人はたくさんいます。だから、決して一枚岩ではないのです。最近、イスラエルの国連代表が黄色いダビデの星のバッチを付けましたね。あれは、ユダヤ人がヨーロッパで強制的に付けさせられたものですから、ホロコースト記念館の館長は「そんなふうに安っぽく政治的に利用しないでくれ」と言いました。ですから、それは両方の考えがあるのです。
イスラエルという国ができたとき、ユダヤ人はパレスチナ人を追い出しました。ヨーロッパから来たユダヤ人が「お前の家だよ」と言われて、パレスチナ人の家をあてがわれたときに、「いい家をもらった」と言って入っていく人と、「自分たちもこうやって追い出されたな」と思って住めなかった人がいます。それはいろいろですが、大半の人は「自分たちがやっていることは酷いかもしれないけれど、ガス室に送って殺しているわけではないのだから」くらいの感覚ですね。
満州開拓にしても、中国の人から土地を奪い取って入っていったのは長野県の地主の家の人ではなくて、小作農として散々に絞られてきた人たちが、「満州に行ったら地主になれる」と言われて同じような搾取をしたのです。だから、植民地主義の尖兵というのは、常に本国で虐げられた人です。何か悲しくなってしまいますね。
――その通りですね。最後に日本として「これを絶対にやらなければいけない」という、政治に対するアドバイスを聞かせていただけませんか。
高橋 停戦を求めることと、戦争が終わったら日本が経済的に支援をするという立場をはっきりさせることですね。イスラエルに消えてなくなれというわけではないので、イスラエルとの外交関係を大切にしていくことも必要です。何か勘違いしているのは、G7と一緒に動くことが国際世論・国際社会と協調しているような発想でいる人が多いことです。しかし、G7よりもグローバルサウスの方が、人口ははるかに多いし、GDPでも追い付いてきています。G7は世界の一部であって、あれが国際社会すべてではないことを自覚してほしいと思います。岸田さんはグローバルサウスという言葉が好きなので、もう少しグローバルサウスと連帯する外交をしてほしいし、もっとNGOなどの市民社会と連帯するべきです。G7の中だけで頑張るというパラダイムではなくて、グローバルサウスや市民社会と連帯する新しい枠組みの外交をぜひ目指してほしいと思います。
――イスラエルとパレスチナの併存は可能でしょうか。
高橋 私は、それ以外に両者が生きていく道はないと思います。遅かれ早かれ、それを理解しないと両者は生きていけません。政治的問題に軍事的解決はないのです。軍事的解決があるのだったら、これだけ戦争しているのだからとっくに問題は解決しているはずです。アメリカがこんな形でイスラエルを支援し続けても、イスラエルの為にはなっていないのです。アメリカ人はそれに少し気が付き始めてきました。ですから、短期的には暗いのですが、中長期的には、決して絶望してはいけないと思います。