仲介外交のゆくえ

 

先ほど述べたように、中国ではエネルギーの中東依存を深めないようにとの配慮をしてきたとはいえ、石油の6割を依存しており、中国の経済の将来は中東からの安定的なエネルギー供給にかかっている。それゆえ中国は、中東へのエネルギー依存を深めるのと歩調を合わせるかのように中東に進出してきた。石油を輸入しているペルシア湾岸諸国に積極的に投資を行い経済関係を強めてきた。また、非産油国のイスラエルの港湾インフラなどにも大規模な投資を行ってきた。逆にイスラエルからはハイテクを輸入してきた。中国は全方位外交を展開し、この地域のすべての国々と良好な関係を打ち立てようとしてきた。しかし、中東では各国の利害が錯さくそう綜し、容易ではない。錯綜する利害の一つは、イランとサウジアラビアの対立だった。

 

2016年以来、両国は外交関係を断絶していた。引き金は、前年の15年末のサウジアラビアによる国内のシーア派の指導者の処刑だった。シーア派の大国イランがこれに反発した。同国内のサウジアラビアの大使館に「暴徒」が乱入する事件が起きた。この暴徒をイラン当局が組織したのではないかとの疑惑が抱かれた。サウジアラビアはイランとの国交を断絶した。

 

そして19年には、サウジアラビアの石油生産地帯がドローンや巡航ミサイルで攻撃される事件があった。多くは、これをイランの仕業だとみなしている。サウジアラビアはアメリカによるイランに対する反撃を期待したが、親サウジアラビアをアッピールしていたドナルド・トランプ大統領は動かなかった。イランとの新たな戦争が簡単ではないと認識したいたからだろう。

 

そして新たな戦争が自分の再選を危うくするという計算もあったろう。アメリカはイランに報復しなかった。それが、結果としてアメリカは頼りにならないとの印象をサウジアラビアに与えた。

 

そして外交の舵を切った。まずイスラエルと接近した。イスラエルの力でイランからの攻撃を抑止しようとの計算だった。そして、もう一つの動きがイランとの関係改善である。アメリカが後ろ盾として頼りにならないのがあきらかになった以上、イランとの関係を悪化したままにしておくのは危険過ぎる。サウジアラビアは、そう判断したのだろう。

 

この両国間の緊張緩和に向けた交渉は、イラクやオマーンの仲介で、20年くらいから静かに進行していた。今回の国交回復をうたった中国、イラン、サウジアラビアの3カ国の共同声明は、両国の外交努力に言及し、その労に謝辞を述べている。交渉は、はかどっていた。その証拠にイエメンでの戦闘が沈静化していた。15年以来、イエメン内戦の当事者の双方にサウジアラビアとイランが肩入れしてきた。その内戦が下火になってきたのは、両国関係の改善の兆ちょうこう候と見られていた。

 

熟しつつあった機をとらえて、中国はイランとサウジアラビアの両国の国交回復の手助けをした。華々しい成果である。だがもちろん、これを喜んでいない政権もある。イスラエルのネタニヤフ政権である。イランの脅威を煽ってサウジアラビアに接近しようとしていたからだ。中国の外交的な成果を喜んでいない。しかし、中国にとってはイスラエルの笑顔よりも安定したエネルギー供給の方が重要である。中東では皆に喜んでもらうのは、なかなかむずかしい。この地域では、さすがに中国も八方美人ではいられない。

 

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