出版元の了承を得て以下の文章をアップします。

類似の内容の文章を既にアップしていますが、図などもあり、こちらの方が読みやすいのではと想像しています。

「キャラバンサライ(第140回)核兵器保有の“敷居国家”イランとの共存」

『まなぶ』2023年8月号40~41ページ

 

 

最近の中東では不思議な事件がつづいている。

 

2020年の秋にUAE(アラブ首長国連邦)とバーレーンがイスラエルと国交を樹立した。いずれも、これまでイスラエルを敵視してきたアラブ人の国家である。また、サウジアラビアとイスラエルの接近が伝えられた。そして今年3月、中国の仲介によるサウジアラビアとイランとの和解が伝えられた。しかもアメリカとイランの間で暫定的な合意が近いとの報道もある。戦争やクーデターばかり起こっていた中東で、突然に和解とか合意とかが続発している。不思議な風景である。一体全体、この地域でなにが起こっているのか。

 

この不思議さを理解するために注目すべき事件は2019年のサウジアラビアの石油関連施設への攻撃である。この年の9月、同国の石油生産の中心地のひとつのアブカイクの石油関連施設がドローンと巡航ミサイルの攻撃を受け、大きな被害をだした。被害者のサウジアラビアを含め友好国のアメリカも、イランの犯行だと断定した。だがその後、もっと大きな事件が起こった。こうした断定にもかかわらず、アメリカはイランに報復しなかった。この「何事も起こらなかった」というのが最大の事件だった。

 

長年、サウジアラビアとアメリカの間には暗黙の契約が存在した。一方でサウジアラビアは石油を供給しつづけ、他方でアメリカはサウジアラビアを守るという契約だった。ところが、同国が攻撃されたにもかかわらず、アメリカはイランに報復しなかった。

 

当時のアメリカの大統領はトランプだったが、イランと戦争を始めれば、自分の2期目の大統領としての再選はないと判断したのだろう。国民はアフガニスタンとイラクの戦争に疲れており、とても新たな戦争を歓迎する雰囲気ではない。しかもアメリカは国内での

石油生産が増加しており、もはやサウジアラビアの石油を必要としていない。トランプは動かなかった。

 

そこでサウジアラビアは新たな保護者を探し始めた。その候補の一つがイスラエルである。イスラエルは高度な防空システムを保有しているからだ。イスラムの二大聖地であるメッカとメディナを抱えるサウジアラビア自身は、さすがにイスラエルの承認には踏み出さなかった。だが、友好国のバーレーンとUAEの動きには反対しなかった。

 

 

そしてサウジアラビアの第二の動きが、イランとの関係改善だった。アメリカの後ろ盾を得られないのならば、同国にイランと対立する余裕はない。サウジアラビアの視点に立てば、対立するイスラエルとイランの双方との関係改善は、決して矛盾していない。

 

こうした動きの前提にあるのは、イランが核兵器保有に限りなく近づいているという認識である。

 

イランの核開発には2015年の核合意によって制限がかけられていた。ところが、この合意からトランプ大統領のアメリカが一方的に離脱し、イランに対する経済制裁を再開・強化した。この合意では、イランが核開発の制限を受け入れる見返りに、アメリカなどは経済制裁の撤廃を約していた。やがてイランは、制限を超えたウラン濃縮を再開した。その結果、イランは、濃縮比率60 パーセントのウランを保有するまでになった。この比率を90 パーセントまで高めれば、ウランは核爆弾の材料になる。イランは、手を伸ばせば核兵器を保有できる段階に到達している。こうした状況の国家を核兵器の「敷居国家」と呼ぶ。イランは、現在その敷居の上に立っている。

 

しかも、もはやアメリカは戦争によってイランの核施設を破壊する意志はない。その証拠に、冒頭に触れたイランとの「ミニ合意」交渉を行っている。イランは、これ以上はウランの濃縮比率を高めない。アメリカは凍結しているイラン資産の一部を解除する。これが合意の核心である。各国は核の敷居国家イランとの共存を模索し始めたようだ。こう考えてみると、不思議な風景は、それほど不思議に見えなくなる。

 

-了-