2.中東問題――〝2千年〟の虚構

 

パレスチナ問題の核心

 

中東には多くの紛争がある。その代表的な例としてパレスチナを巡る争いを取り上げよう。この問題がいかに重要かは、パレスチナ問題として言及されるばかりでなく、この紛争が「中東紛争」として語られるところからもわかる。「花は桜」ではないが、中東問題はパレスチナ問題を伝統的に意味してきた。

 

この問題に関しては、むずかしすぎる「説明」が横行している。ユダヤ教とイスラム教の宗教紛争だとか、2千年の怨念の対立だとかいった類の「解説」である。こうした説明は、そもそも算数からして怪しい。イスラム教は起こってから1400年ほどである。であるので、この地でイスラム教徒が2千年も争っているはずはない。また、この土地には多くのキリスト教徒が生活している。したがって、この問題をユダヤ教とイスラム教徒の対立に「濃縮」してしまうと、キリスト教徒が切り捨てられてしまう。簡明過ぎる「説明」はなにも説明しない。

 

日本人の多くはイスラム世界に関して大きな誤解をしている。一つは、イスラム世界がイスラム一色の世界だとの思い込みである。イスラム諸国の多くには、かなりの数の宗教的な少数派が存在する。キリスト教徒の存在するパレスチナ、レバノン、シリア、エジプトなどは、その例である。また、モロッコにはユダヤ教徒も生活している。

 

イスラム教は、ユダヤ教とキリスト教の伝統を踏まえて創始された宗教である。その預言者ムハンマドは、ユダヤ教徒とキリスト教徒を「聖典の民」として尊重するように教えた。したがって両教徒のイスラム教への強制改宗は起こらなかった。

 

逆にキリスト教徒がユダヤ教徒やイスラム教徒に改宗を迫った例として歴史に記憶されているのが、レコンキスタ後のスペインである。イベリア半島は長らくイスラム教徒の支配下にあり、そこではユダヤ教徒も繁栄を享受していた。ところがキリスト教徒によるイベリア半島のレコンキスタと呼ばれる再征服運動が起こり、これが1492年に完成した。この年、イスラム教徒の最後の拠点グラナダが陥落した。スペインの支配者は、生活していたイスラム教徒とユダヤ教徒に、キリスト教への改宗か国外追放かの選択を迫った。改宗を受け入れたものもいたし、海外に難民となって逃れた者もいた。

 

キリスト教徒は、こうした自分たちの行為をイスラム教徒にかぶせて理解し、「右手にコーラン、左手に剣!」を持って改宗か戦争を迫った、という偽りの印象がイスラム教に押し付けられ、それが日本に輸入されたのだろうか。日本ではイスラム世界におけるマイノリティー存在が十分に認識されていない。いずれにしろ、イスラム教徒とユダヤ教徒だけが争っているのではない。キリスト教徒もいる。しかし、その争いの核心は宗教に関してではない。

 

それでは、この問題の核心はなにか。なにに関して争っているのか。パレスチナ問題の核心はパレスチナである。つまり、パレスチナという土地である。パレスチナという不動産である。これは、土地を巡る紛争である。土地争いである。他の要因は、それなりの重要性があるにしろ、問題の核心ではない。

>次回につづく