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(「キャラバンサライ(第138回)イラン人質事件と1980年の米大統領選挙」『まなぶ』(2023年6月号)38~39ページ)


4月下旬にジョー・バイデン大統領が再選への立候補を表明したこともあり、来年11月の米大統領選挙に注目が集まり始めた。まだ1年半もあるのに、はや米政治は大統領選挙モードである。ところが来年の選挙ばかりでなく、43年前の1980年の大統領選挙にも注目が集まっている。なぜだろうか。

この大統領選挙では現職のジミー・カーター大統領が再選をめざしていた。対立候補は共和党のロナルド・レーガンだった。経済状況が悪く、カーターは劣勢だった。だが逆転の可能性も論じられていた。1979年11月にテヘランのアメリカ大使館に暴徒が乱入し、同大使館員を人質にするという事件があった。カーターは、人質を無事救出するために全力を尽くしていた。もし仮にイラン側との交渉がまとまり、選挙前に人質が釈放されれば、カーター人気は沸騰するだろう。そのまま選挙に突入すれば、カーターの勝利もありうる。そうした読みがあった。

だが、人質は釈放されなかった。これでカーターの勝機が消え、レーガンが当選した。そして人質が釈放された。

敗れたカーターの周辺では、人質事件が長引いたのは、長引かせる方が有利だと思った勢力がイランに働きかけて交渉を邪魔したからだという疑惑が深まっていた。

疑惑をかけられたのは、その後にレーガンの副大統領を8年間つとめたジョージ・H・W・ブッシュ副大統領だった。この人物は、1989年に大統領になり、湾岸戦争を戦った。イラク戦争を始めたジョージ・W・ブッシュ大統領の父親である。だが、徹底した調査にもかかわらず、証拠は出てこなかった。この件は、陰謀はなかったということで落着したかに思われた。ところが2023年3月18日、認識を一変させるようなインタビューが『ニューヨーク・タイムズ』紙に掲載された。テキサス州の副知事を務めたベン・バーンズが同紙の記者に次のように告白したからだ。

元テキサス州知事のジョン・コナリーが1980年の大統領選挙前に中東を歴訪した際に、各国のリーダーにメッセージのイランへの伝達を依頼した。そのメッセージは、大統領選挙が終わるまで人質を解放しないように。そして、レーガン政権の方がイランにより有利な条件を提示するという内容だった。つまり、共和党陣営に有利になるように、人質の解放を遅らせようとイランに働きかけようとしたわけだ。

コナリーは1980年の大統領選挙では共和党の指名争いでレーガンに敗れた。その後にレーガン支持に転じた。レーガン政権では国務長官か国防長官のポストを欲しがっていた。そのコナリーの大統領選挙前の中東諸国にバーンズが随行した。バーンズもテキサス州の副知事を務めた大物政治家である。二人は親しかった。バーンズは歴訪の過程で、コナリーの目的が単なる中東外交に詳しい大物という箔つけではないのに気がついた。コナリーは人質解放を遅らせるために動いているのだと。帰国後コナリーは、レーガンの選挙参謀のウイリアム・ケーシーに会っている。レーガン政権ではCIA(米中央情報局)の長官を務めた人物である。

コナリーの暗躍を当時の大統領候補のレーガンや副大統領候補のブッシュが知っていたかどうかは不明だ。コナリー、ケーシー、ブッシュ、レーガン、いずれも故人である。

なぜバーンズは、いまになってニューヨーク・タイムズという有力紙に告白したのだろうか。

一つには、みずからに残された時間が長くないとの意識からだろう。最後に真実を語っておきたいとの気持ちが湧いたのだろう。また、より重要には、現在98 歳のカーターの人生がいよいよ最終段階を迎えたからだろう。この2 月に元大統領は、延命治療を中止し病院から自宅に戻った。最後の時に備えてだ。カーターに意識があるうちに、大統領選挙での敗退の影に共和党の陰謀があったという事実を伝えたかったのだろう。

 

-了-