今年はイラク戦争の開戦20周年である。20年前の3月20日にアメリカがイラク攻撃を開始した。そして4月9日に首都のバグダッドが陥落した。さらに5月1日にジョージ・W・ブッシュ大統領が「任務完了(戦闘終結)宣言」を行った。海軍の空母アブラハム・リンカーンの艦上で行われた演説は、勝利宣言として報道された。ただイラク戦争は、これでは終わらなかった。ここまでは、単にアメリカのイラク介入の始まりに過ぎなかった。血にまみれた物語が今日に至るまでつづいている。

 

すぐにイラクではアメリカの占領に対する抵抗運動が燃え上がった、そしてイラクのシーア派とスンニー派の間の対立も激化した。イラクは内戦状態に陥った。勝利宣言後に、宣言前よりも多くのアメリカ兵が死傷した。アメリカ兵の戦死者は5千人を超えている。オバマ大統領期にアメリカ軍はイラクから撤退したものの、その後のIS(「イスラム国」)の台頭を受けて、再度イラクに戻るなど、なかなかイラクから足を洗えない状況である。そしてアメリカ兵の犠牲よりも、はるかに多い数えられないほどのイラク人が犠牲となったことは指摘しておきたい。このアメリカのイラク戦争は、中東と世界に、なにを残したのだろうか。

 

アメリカは、フセインの独裁体制を倒したのみならず、イラク国家そのものを破壊した。その結果、現在のイラクは国の体をなしていない。

 

というのは、実権のある首相にはシーア派のアラブ人が就任しているとはいえ、国家の長たる大統領と外交の顔である外務大臣はクルド人である。二人ともクルド人の主要政党の幹部である。大統領はクルディスターン愛国同盟という政党に、そして外相はクルディスターン民主党という政党に属している。この二つの政党はクルド人のイラク国家からの独立を求めて長年にわたり闘ってきた。事実2017年にはイラク北部のクルド人地域では住民投票が行わ

れ、圧倒的多数のクルド人が独立を支持した。イラクのシーア派やスンニー派を始め周辺諸国の強い反対があり、この「独立」は住民投票では支持されたが、実現しなかった。

 

しかし、クルド人の希望はあきらかである。独立である。つまり、イラク国家の崩壊を望んでいる。この国では、そうした人たちが大統領や外務大臣を務めている。国内のシーア派アラブ人、スンニー派アラブ人、クルド人の綱引きが生み出した結果である。だが、国を壊そうとする人々が大統領と外務大臣というのは、奇妙ではないか。まだイラクという国家は本当に存続しているのか。この政治風景を目にしての思いである。

 

アメリカは、それほどまでにイラクを弱めた。その結果は、イラクの圧力から解放されたイランの影響力の拡大である。イランはサダム・フセインの時代からクルド人やシーア派の反フセイン勢力を支援してきた。フセイン没落後は、ますますイラクへの影響力を強めた。そればかりか周辺の他のアラブ諸国へも影響力を深く浸透させてきた。アメリカのイラク戦争は、地域大国への道をイランのために拓いた。

 

より大きな世界レベルでイラク戦争を考えると、それは中国の超大国としての台頭を準備したと言える。アメリカが20 年間にわたりイラクで苦しんでいる間に、中国は経済を発展させ軍事力を強化してきた。富国強兵の道を足早に歩んできた。これは1960年代から70 年代にかけてアメリカがインドシナの泥沼に足を採られている間にソ連が軍事力を増強して世界各地で介入を始めた前例を想起させる。もし中東で戦争をしていなければ、中国の周辺海洋への「進出」に対するアメリカの対応は異なっていたのではないだろうか。周辺諸国と紛争のある海域の岩礁を埋め立てて人工の島を造り、そこに軍事基地を建設するような中国の行動に対して、より強い対抗措置を、より早い段階で、アメリカが、とったのではないだろうか。

 

イラク戦争は、イランという地域大国と中国という超大国の台頭を準備した。しかも、この2つの国が関係を深めている。そしてアメリカは、この両国への対応に苦闘している。

 

-了-