今年はイラクをアメリカが攻撃して始まったイラク戦争の20周年にあたる。アメリカが攻撃を始めたのは3月20日だった。この日は木曜日だった。筆者は、フジテレビのスタジオにいた。同局のスタッフにアメリカが攻撃を開始する日を尋ねられたので、その日だと答えた。報道からアメリカ軍の攻撃開始が直前に迫っているのは、分かっていた。しかし、日の特定は難しかった。だが3月21日が金曜日でイスラム教徒の集団礼拝の日なので、この日は避けるだろうと思った。さすがにアメリカも、その程度の配慮はイスラム教徒に対してするだろうと思ったからだ。

私の助言を踏まえたのか、あるいは他の情報に基づいたのか、フジテレビは、その日は午前から特別番組を構えた。1991年の湾岸戦争の際には、日本時間の朝の8時台にアメリカは攻撃を開始した。それを踏まえての対応だったのか。ところが戦争は始まらない。始まらない方がよいのだが、その日の開戦を予言した身としては同局では居場所がない思いだった。フジテレビの巨大な報道局のフロアで何百人もの局員もの冷たい視線が背中に突き刺ささった。それでは翌日の開戦かと思い始めた。ところがおひる頃に、アメリカ軍の爆撃が始まった。この日に戦争が始まって、嘘つきにならずに済んだ。「ほっと」したという感情が走った。同時に、不謹慎だとの思いもこみあげてきた。開戦の意味する多くの死の意味にも思いを巡らせたからだ。

急いでスタジオに入って実況中継と解説を始めた。しきっているのは、安藤優子キャスターだ。そばに木村太郎さんがいる。現在では安藤キャスターは既に第一線を退いている。木村さんは、依然として解説者として活躍している。二人とも英語が堪能で、こういう場面では心強い。英語メディアの報道を通訳なしで理解して、視聴者に伝えられる。木村さんは、パソコンでCNNの実況を見ている。

アメリカ軍が攻撃を開始したのは、即座に攻撃すべき目標が見つかったからだとの報道が入ってきた。この目標とは何だろうか。可能性は二つ考えられた。一つはイラクが隠し持っていたスカッド・ミサイルを発射しようとしているのを、アメリカ側が察知したからだろう。安藤キャスターが、何が標的だったのでしょうかと、まず木村さんに尋ねた。木村さんがスカッドが見つかったからではないかと答えた。せっかく、こちらで用意した答えだったが、木村さんの先制攻撃で、スカッド説は破壊されてしまった。もう、この推測は語れなくなった。

もう一つの可能性として考えられたのが次の推測だ。おそらくサダム・フセインの動向がわかり、その殺害を試みた。安藤キャスターが意見を求めた際に、こちらの説を答えるしかなかった。その直後だったろうか、移動中のフセインを発見したからだとの続報が入った。運よく推測が当たった。

フセインは、何をすべきかとの安藤キャスターの質問が続いた。早く健在だと国民に示す必要がある。フセインに権力の集中する独裁体制であるので、トップの死は体制の崩壊を招くと解説した。後に知らされたのだが、幸い、この特番の視聴率は民放各局の中ではトップだったそうだ。また政府や自民党本部もNHKではなくフジテレビを見ていたとの話も伝わってきた。

その日は、フジテレビを出た後、各局を回った。最後はNHKだったろうか。フセインがテレビに出て演説したというニュースが入ってきた。フセインはテレビ用の化粧もしていなかったようだ。本人だろうか。影武者だろうかとの質問を受けた。通常はフセインは報道官を使う。本人がテレビで演説するのは稀である。一度だけバグダッドでフセインの演説を生で聞いた経験があるが、決してうまくない。しかし、この場面では、演説が上手いとか下手との問題ではない。体制を守るために、本人が生きている姿を見せる必要があるとの判断から急遽テレビに出演した。そう解説した。その後、この人物が影武者だったとの説が消えたので、解説は間違っていなかった。

筆者にとっては影武者でも欲しくなるほどの忙しい日々の始まりだった。2003年3月20日の木曜日の記憶である。

-了-