ウクライナ
 

ところがイラン核問題の交渉と平行するかのように、ウクライナを巡る情勢が険悪化した。ウクライナをNATOに加盟させないとの保証をロシアが米国などに求めた。そして2022年2月下旬にはロシア軍がウクライナに大規模な侵略を開始した。激しい戦闘が現在も続いている。これがイラン核交渉に長く深く濃い影を落としている。

 

まずウクライナ情勢の急展開にイランは、どのような立場をとったのだろうか。イランは、戦争を非難しつつ、同時に、その背景となったのはNATOの拡大であるとの認識を示し、ロシアの動機に理解を見せた。これは、核交渉などにおいて、常にイランの側に立ってくれたプーチン大統領への配慮であった。イランとしては、この玉虫色の対応で微妙なバランスを目指したわけだ。

 

付言すればイランと北方の隣人のロシア(ソ連)とは必ずしも良好な関係を維持してきたわけではない。19世紀にはロシアとの戦争に敗れ、カジャール朝ペルシア帝国は広大な領土を失った。現在のグルジア、アルメニア、アゼルバイジャンなどに当たる地域がそうである。また第二次世界大戦中にはイラン北部をソ連軍が占領していた。南部はイギリス軍が押さえた。イランは、アメリカの物資をナチス・ドイツと戦うソ連に送るために「勝利への橋」であった。戦争が終わるとイギリス軍は撤退したものの、なかなかソ連軍は動かなかった。結局は撤退するのだが、その前にソ連軍支配地域でアゼルバイジャン人民政府とクルディスターン共和国(マーハーバード共和国)が樹立された。これは、ウクライナにおける「ドネツク人民共和国」及び「ルハンスク人民共和国」両共和国の樹立を想起させる。ロシア人のやることは、変わらない。

 

放送大学テレビ番組『中東の政治(’20)』、第10回 「北朝鮮/小さな軍事大国」より

放送大学テレビ番組『中東の政治(’20)』、第10回 「北朝鮮/小さな軍事大国」より
 

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