天災という名の“人災”

 

今回の大災害の多くの部分が人災ではないかとの声が上がっている。たとえば、地震発生直後の対応が鈍かった。初動の遅れが、犠牲を増やした。エルドアン大統領に権力と権限が集中しているので、現場が自由に機動的に動けなかったとの批判がある。権力が集中している場合、その権力者が迅速に行動すれば、国家は、この上もないほどの能率を示すが、逆に権力者が動かねば、何も動かないし、誰も動けない。今回のトルコでの地震の対応が、そうであった。エルドアン自身も地震発生から3日後に被災地に入り、初動の対応の緩慢さを認めている。エルドアン自身の言葉だと、「2日目からは」全力で対応している。

 

長期にわたるエルドアン政権は、その与党である公正発展党の党員を優遇してきた。多くの官僚組織や政府関連団体の幹部として同党の党員が重用されてきた。災害対策関連の組織でも、災害対策に関する専門知識の深くない党員が幹部に座っている。政府の災害対応が批判される背景だろう。

 

軍の投入も遅かった。なぜだろうか。一つの憶測は、トルコ軍はシリアのクルド人地域への攻撃に備えており、すぐには災害対応に投入できなかったのか。

 

ちなみに現在のシリアは基本的には三分割されている。ダマスカスのアサド政権の支配する地域、そしてクルド人の支配する地域、このクルド人の背後にはアメリカ軍がいる。そして、反対政府派支配地域である。その背後にはトルコがいる。今回の地震の被害がシリアでは、最もひどかった地域でもある。アルカーイダ系を含め、さまざまな武装組織が共存、競合、対立を繰り広げている地域でもある。

 

シリアからトルコに話を戻すと、トルコ政府が軍を即座に投入しなかった背後にあったのは、エルドアンのトルコ軍に対する警戒心との推測もある。救援活動で軍が、国民の人気を集めるのをエルドアンが嫌ったからだとの見方である。そもそもエルドアンの率いる親イスラム勢力は軍とは折り合いが悪かった。軍は、軍人だったケマル・アタチュルクが定めたトルコの世俗主義の守護神だったからだ。世俗主義とは政治と宗教の徹底した分離とでも、ここでは紹介しておこう。アタチュルクの創ったトルコ共和国は、これを国是としてきた。公共の場でのスカーフの着用が禁じられるなど「世俗原理主義」とでも表現したいほどの徹底ぶりであった。

 

エリート層の多くは世俗的でもトルコの庶民の多くは宗教的である。エルドアンらは、この庶民の感情を代表して勢力を拡大し、世俗主義の軍と対立してきた。エルドアン自身もイスタンブールの市長時代に、この原則を破ったとして投獄も経験している。このイスラム勢力と軍の危ういバランスを崩したのが、2016年の軍によるクーデター未遂であった。この機をとらえてエルドアンは攻勢に出て軍人の多くを粛正した。しかし、それでもエルドアンは必ずしも軍を信用しきれていないのだろう。

 

また政府は地震対策のために地震対策税を徴収してきたが、それが有効に使われてこなかったのではないかとの批判が、すでに野党から上がっている。事実、この税は高速道路や鉄道の建設に転用され、既存の建物の耐震性を高めるなどの本来の目的には使われてこなかった。

 

より深刻には、多くの建物が簡単に崩壊し、犠牲者の数が増えたという非難である。確かに大地震である。倒壊するビルが出てもおかしくない。だが倒れなかったビルもある。その違いは何だろう。それは耐震基準を守って建設されたかどうかである。トルコは1999年に1万7千名もの死者を出す大規模な地震を経験した。その経験を踏まえ、厳格な耐震基準が制定されてきた。しかも、何度も改訂されている。それゆえ、なるほど耐震基準は、立派である。

 

だが、それが実施されてこなかった。政府は、一定金額を納めれば耐震基準以下の建物でも認めてきた。そのための建物の3分の1から半分は耐震基準を満たしていないとみられる。お金で耐震基準を「買う」法に関しては、やがて居住者が命を支払うだろうとの警告が何度も専門家筋から出されていた。

 

エルドアン政権と建設業界の密接な関係は以前から指摘されている。耐震基準以下の建物の多い背景には、この業界の意向があったのではないかとの推測は不自然ではないだろう。今回の「天災」の人災の部分が、気にかかる。

 

また今回の被災地には民族的なマイノリティーであるクルド人が多い。またアレヴィー派と呼ばれる宗教的なマイノリティーも多い。両者は、往々にして重複している。つまりクルド人の多くはアレヴィー教徒である。こうしたマイノリティー地域ゆえに政府の対応が緩慢かつ不十分だったのではないかとの声もある。

 

エルドアン政権は、国内のテレビや新聞などを掌握しているので、批判の声を封じ込めている。しかもツイッターを制限したり、ソーシャル・メディアで政府の対応を批判した個人を特定したりするなど、この面でも圧力を加えている。

 

それでも、この惨状である。実態は国民の目から隠しようもない。今回の震災の地域の住民の総数は1400万人と推定されている。トルコの総人口8500万の16パーセントに当たる。直接震災の被害を受けた人々は、もちろんの事、この惨状にニュースなどで触れて、他の国民の多くも怒っているのが実情のようだ。

 

皮肉なものである。エルドアンという政治家がのし上がる過程で1999年の大地震は大きな役割を果たした。中央政府の無能を批判して、当時は野にあったエルドアンは人気を集めた。テントで被災者と一緒にお茶を飲む姿が共感を集めた。地震で人気を集めた政治家が、今度は地震に支持基盤を揺さぶられている。

 

想定されるシナリオのひとつは、この災害を理由とした選挙の延期である。確かに災害の大きさを考慮すれば、それは妥当な判断であろう。しかし、いつまで延期するのか。その判断は誰がするのか。エルドアン政権の都合で選挙の日程が左右されるのは、好ましくない。エルドアン王朝ばかりでなく、その王朝に押しつぶされそうになっているトルコの民主主義の行く末が気にかかる。トルコという国の民主主義そのものの耐震性が試されている。

 

-了-