ウクライナ情勢を見ているとロシアのウラディミール・プーチン大統領の片思いが目につく。同大統領はロシアとウクライナは一体と考えているようである。ところが、ウクライナ人の多数派は、どうも同意していない。ウクライナの独自性を主張し、独立を守るために命を賭けて戦っている。


両者のギャップの理由は多いが、その一つは間違いなく1930年代の経験である。1929年以降の大恐慌で資本主義諸国が大不況にあえぐのを横目に、ソ連が着実な工業化を実現した時代である。ソ連は、その工業化の推進のために欧米からの機械設備の輸入が必要だった。どうやって、その輸入代金をまかなったのだろうか。それは、穀物の輸出によってである。豊かな穀倉地帯のウクライナの小麦が輸出され、ソ連の工業化を支えた。その工業力が1940年代のドイツとの戦争での勝利をもたらした。


しかし、当時の独裁者・ヨセフ・スターリンは、小麦の輸出量を増やすためにウクライナの農民からきびしい取り立てを行った。ウクライナの人々は飢餓状態に置かれた。人々は木の皮や人肉を口にするまでに追い込まれた。結果は何百万人もの餓死者であった。この件に関してはソ連のメディアは報道しなかったし、学校でも教えていなかった。だが、もちろん人々の間では口から口へと語り継がれていた。


この飢餓に関しては、2019年公開のウクライナ・ポーランド・イギリスの合作映画『赤い闇/スターリンの冷たい大地で』が題材としている。飢餓が起こっていた時期、ソ連に駐在していた西側の報道陣の多くはモスクワを自由に離れることが許されず、当局が用意した宣伝用の「豊かな」村のみを取材させられていた。飢餓の「噂」はあったが、広く報道されていなかった。そうした中で、イギリス人ジャーナリストのガレス・ジョーンズは、監視の目をくぐってウクライナの惨状を取材し報道した。その物語である。


こうした飢餓の経験があったので、1941年6月にドイツ軍がソ連を奇襲してウクライナに侵入すると、これを解放者として歓迎し、ナチスに協力する者もいた。当時のナチスの宣伝映像は、ドイツ軍を歓呼して迎えるウクライナの大衆の姿をとらえている。


この歴史が、プーチンなどがウクライナの民族主義者を「ナチ」と呼ぶ背景となっている。また、その反響が日本にも届き、一部の「識者」がウクライナの民族主義者をネオ・ナチと「解説」していた。


念のために申し添えると、ウクライナの現政権はナチでもなければネオ・ナチでもなく、反ユダヤ主義でもない。コメディアン出身の現大統領のウォロディミル・ゼレンスキーはユダヤ教徒である。ウクライナ政府がネオ・ナチというプーチンの議論は、ロシアが展開している一連のプロパガンダの中でも一番説得力のない部類のフェイク(偽)情報である。


ドイツに協力した一部のウクライナ人のために申し添えれば、スターリンの支配を嫌った人々が一時的にヒトラーになびいたからといって、ナチスのイデオロギーに心酔したとは決めつけられないだろう。もし、そうならドイツと同盟を結んでいた日本はナチスとなり、現代の日本人はネオ・ナチになってしまう。


第2次世界大戦中に議論を戻すと、やがてナチスのスラブ系民族の奴隷化という酷い政策を知ったウクライナの人々は、ドイツへの抵抗運動を開始する。またソ連軍も1941年末のモスクワの攻防戦で勝利を収めて以来、反攻に転じて、やがてウクライナを奪還する。そしてポーランドへ進撃し、最後にはベルリンを攻略して対独戦争に勝利を収める。


いずれにしろ、ウクライナは独ソ戦という人類史上最大の殺し合いの主要な舞台となった。この戦争で、ソ連は2700万人を失ったと主張している。その多くはウクライナ人である。ウクライナの人々は、スターリンの飢餓、ナチスの占領、独ソ戦の惨禍という苦難の20世紀を生き抜いてきた。中でも、飢餓の経験が、モスクワから支配されていた時代の記憶を苦いものにしている。


-了-


※「キャラバンサライ(第124回)ウクライナの飢餓の記憶」、『まなぶ』(2022年4月号)46?47ページに掲載された拙文です。
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