新型コロナウイルス対策として日本では2種類のワクチンが接種されている。一つはドイツのビオンテック社とアメリカのファイザー社が共同で開発したワクチンで、もう一つがアメリカのモデルナ社製のワクチンである。このモデルナ・ワクチンの開発の遠い遠い背景となったのが、日本である。


というのは、日本の経済的な成功が、科学者を志望していた男をモデルナのワクチンをつくりだした会社の創業者に変えるきっかけとなったからだ。この男は、ヌーバール・アフェヤーンというレバノンからの移民である。科学者にあこがれていたアフェヤーンはMIT(マサチューセッツ工科大学)で生物化学を研究していた。学業を終えれば実験室で働くつもりだったという。


アフェヤーンがMITで学んでいた1980年代は、日本がバブル経済に沸いていた時代だった。日本経済に世界の注目が集まっていた。一部では、アメリカ経済への脅威とさえ見られていた。


アフェヤーンは、たまたま1985年にワシントンで開催された日本の経済競争力に関するセミナーに出席した。昼食の際に隣の席に座っていた人物とアフェヤーンは親しくなった。その人物は1930年代に電子工学を勉強した。当時の最先端分野である。その知識を活かして世界で最初にオシロスコープを開発した一人であった。オシロスコープというのは、電気の流れを波動として表示する装置である。それまでは電流を確認するのに針の振れを見ていたので、オシロスコープが、この作業を格段にやさしくした。


アフェヤーンはセミナーの後も、この人物に1時間ほど質問をつづけた。どうやって起業したのか、開発する製品をいかに決定したのかなどかである。


「どの製品を選ぶかなどは問題ではない。重要なのは始めることだ。そして前進しながら学ぶことだ」という単純な助言が、この人物の答えだった。アフェヤーンはこの言葉を忘れなかった。この人物こそ、巨大ハイテク企業のヒューレッド・パッカード(HP)社の創業者の1人のデービッド・パッカードだった。アフェヤーンはその後にMITの経営の専門家にも助言を求めた。「起業家には、なるのではない。もともと起業家なのか、そうでないのか」というだけの話だ、との意見であった。


アフェヤーンは、起業家だった。卒業後に会社を立ち上げた。1930年代にパッカードの学んでいた電子工学が新しい分野であったように、80年代にはアフェヤーンが学んでいた生物化学こそが最先端の分野であった。


生物化学関連の会社をいくつも起業した後、アフェヤーンはmRNA(伝令リボ核酸)技術に出会った。mRNAは細胞に必要なタンパク質をつくりだす指示をだす。薬を体内に送り込むのでなく、mRNAを送り込んで体内の細胞に必要なタンパク質をみずからつくりださせる。研究は、そうした理論的な可能性を示唆していた。


その可能性に魅了されたアフェヤーンは、日本に関するセミナーに出席した25年後の2010年にモデルナ社を立ち上げた。mRNA技術を改良するためにである。会社名自体が改良されたmRNA(Modified mRNA)の略である。mRNAを送り込むと細胞の方が拒絶したり、細胞内に入っても短時間でmRNAの効力が弱まったりという問題があった。そうした問題を克服するために、超低温下での処理、あるいは脂質の膜でmRNAを包み込むなどの技術が開発された。


モデルナ社は、翌2011年にmRNAを使って期待通りのタンパク質をマウスにつくらせる実験に成功した。アフェヤーンは有頂天になった。エイズを引き起こすウイルスやガンやアルツハイマーなどのヒトの病気をmRNAによって治療する道が開けたからだ。


その後10年を経て、2020年には、この技術はさらに前進していた。そして同年の初めに新型コロナウイルスが発生した。mRNA技術をもっていたビオンテック社とモデルナ社は、この技術をワクチン開発に応用した。そして早くも同年末には、両社はワクチンを完成させて認可を得た。かつて「経済的な脅威」とさえ言われた国では、人々が両社のワクチンの不足を嘆なげいている。


-了-


「キャラバンサライ(第116回)日本とモデルナワクチン」、『まなぶ』2021年8月号40∼41ページ
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