不幸な過去


しかもアメリカ・イラン関係は不幸な過去を背負っている。その両者の歴史的な対立の「原点」として比較的によく知られているのが、1979年のイラン革命と、その年の11月に起こったテヘランのアメリカ大使館人質事件である。革命によって親米政権が倒された上に、テヘランの米大使館が占拠され大使館員が444日間にわたって拘束されたという事件である。この事件によって辱められたとの強い感覚を多くの米国人が抱いている。この点は、比較的によく知られている。よく知られていないのは、その前史である。


大使館人質事件を引き起こしたイランの反米感情のルーツは、どこにあるのだろうか。実は、その根元は深い。その根元の話をしよう。イランと米国の間には、深い因モサデグ首相をクーデターで倒したわけだ。この事件がなければ、イランは平和で民主的な国家として発展していたかもしれない。しかし、その道筋は米英の陰謀によって塞がれてしまった。これがイラン人にとっての対アメリカ関係の「原点」である。


そのクーデターの司令塔の役割を果たしたのが、テヘランの米大使館であった。そのため、大使館は陰謀の巣窟であるとの認識が、イラン人の心理に深く刻み込まれた。1953年のクーデターは、1979年の大使館占拠事件の伏線であった。


つまり、両国関係の悲劇は、どちらもが自らを被害者だと認識している点である。両国の戦略的な対立という大きな絵は、相互不信という広いキャンバスの上に描かれている。


>>次回につづく