NATOの東進


そして1985年にゴルバチョフが登場し、1989年にベルリンの壁が崩れ冷戦が終わった。翌1990年に東西ドイツが統一され、1991年にはソ連が崩壊した。その翌年の1992年にはNATO旧東ドイツをも、その守備範囲とするようになった。ロシアから見えれば、それだけNATOが近づいてきた。


さらに1999年にはポーランド、チェコそしてハンガリーがNATOに加盟した。かつてのワルシャワ条約機構の一部を構成していた地域にNATOが拡大した。ワルシャワ条約機構は、ソ連を中心する軍事同盟でありNATOに対抗していた。そこまでNATOが広がってきたのだ。


しかも、2004年にはスロバニア(かつてのユーゴスラビアの一部)、スロバキア(かつてのチェコスロバキアの一部)、ブルガリア、ルーマニア、そしてバルト三国がNATOに加盟した。その上2009年にクロアチアとアルバニアも加盟した。両国は、いずれも、かつてはユーゴスラビアを構成していた。特に問題となるのは、バルト三国である。なぜならば、ロシアと直接に国境を接しているからだ。


こうしたNATOの拡大が、かつての超大国ソ連の国民であったロシア人の目にどう映るだろうか。耐えがたい軽視に見えるのではないだろうか。侮蔑されているとさえ受け止められているのではないだろうか。伝統的にロシアやソ連の一部だったり、その影響下にあったりした国々にまで西側の軍事同盟を広げてるというのは、血みどろの歴史を通してロシア人の心理に染めこまれた脅威認識を呼び起こすのではないだろうか。


>>次回 につづく



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