シリア難民にはスマートフォンが似合う


スマートフォンを持った難民がヨーロッパに流入する映像に違和感を覚える―。そのような声が聞こえる。2015年以来、トルコに逃れていた難民を中心に多くの人々が中東やアフリカからヨーロッパに流入した。その中心はシリア難民だった。


難民というのは「貧しい人々」というイメージがある。その難民が比較的高価なスマートフォンを持っているのだから、違和感が湧いてくるのは自然かもしれない。しかし、シリア難民にこそ、スマートフォンがふさわしい。そして似合う、と私は思う。その理由を以下に記そう。


まずトルコにいた200万人以上のシリア難民のうち、ヨーロッパに向かったのは比較的豊かな層だった。密航業者への1000ドルを超えるともされる料金を用意するだけでも大変である。また、何のあてもなくヨーロッパに行ったのではなく、そこで新たな生活を築くだけの技術や教育を身に着けた人々が多い。つまり、医者や学者などの高度な教育を受けた人々が多かった。となればスマートフォンくらい持っていて当然ではないだろうか。


シリアに生まれたジョブズの父ジャンダーリー


そういった経済的な背景以上に、シリア難民にはスマートフォンがふさわしいと思える理由がある。というのは、スマートフォンの代表的な企業がアップルだからだ。このアップルの創業者はスティーブ・ジョブズである。よく知られているように、ジョブズはカリフォルニア州のシリコンバレー発の成功物語の象徴的な存在だった。


しかし、よく知られていないのは、ジョブズの出自の複雑さである。


スティーブ・ジョブズの生物学的な父親はシリア出身のアブドルファッタ・ジャンダーリーである。ジャンダーリーは、1931年にシリアで三番目に大きな都市ホムスに生まれている。ホムスは、シリアの首都ダマスカスの北160キロに位置している。2011年から現在も続くシリア内戦によって無残に破壊された都市の一つである。


ジャンダーリーの父親は、学はなかったが才覚で財産を築いた人物だった。息子の教育に熱心で、中東では最高峰の大学とされるレバノンのアメリカン・ベイルート大学にジャンダーリーを進学させた。ここでジャンダーリーは、学生組織のリーダーとしてアラブ民族主義の高まる時代を経験している。同級生にはPFLP(パレスチ解放人民戦線)を組織したジョージ・ハバシュなどがいた。ちなみに1970年代にイスラエルの空港で乱射事件を起こした日本の赤軍派は、このPFLPと共闘していた。


ジャンダーリーは、アメリカン・ベイルート大学を卒業後、アメリカに渡りウィスコンシン大学で政治学の修士号と博士号を獲得した。そこで勉強中にジョアンヌ・キャロル・シーベルという女性と恋に落ちた。


二人の間に男の子が生まれた。しかし、シーベルの父親は保守的であり、娘のアラブ人との結婚に反対した。男の子は、養子として他のカップルに引き取られた。どちらも大学教育を受けていないカップルだった。母親のシーベルは子どもに大学教育を受けさせるという条件を付けて、このカップルに男の子を託した。この男の子こそ、スティーブ・ジョブズである。


その後ジャンダーリーとシーベルは結婚し、娘のモナが生まれる。このモナも優秀で、現在は小説家として著名であり、カリフォルニア大学のロサンジェルス校の教授でもある。


その後、ジャンダーリーとシーベルは離婚してしまう。ジャンダーリーはアメリカに残り大学教員を勤めた後、レストラン経営などに転じ、現在は成功したビジネスマンとなっている。80歳を優に超えた今も元気だと伝えられている。


最後まで埋められなかった息子スティーブとの距離


スティーブ・ジョブズの死亡前のインタビューで、ジャンダーリーは「スティーブを大変誇りに思っている。またスティーブの誕生日にはメッセージを送ってはいるが、それ以上に近づこうという努力は、どちらもしていない。会いたいと思う」と、父親としての感情を吐露しているが、スティーブのほうから電話をかけてきて欲しいとの希望を表明している。だが、電話をかける前にスティーブは、世を去ってしまった。


ちなみに2013年に公開されたハリウッド映画『スティーブ・ジョブズ』においても、親子関係の難しさについては、父親のレストランに行ったことがあると、一瞬だけ言及があるのみである。


ここまで書くと、なぜ筆者がシリア難民にスマートフォンが似合うと考えているかがおわかりいただけるだろう。そもそもスマートフォンを人類にもたらしたスティーブ・ジョブズがシリア人の血を引いているのなら、シリア難民がスマートフォンに導かれてヨーロッパを目指す姿に違和感を覚える必要はないからである。


※『スティーブ・ジョブズ』(洋泉社Mook、2016年)28~29ページに掲載されたものです。