2期目に入ったオバマ政権では、ヒラリー・クリントン国務長官が退き、新たにジョン・ケリー上院議員が国務長官に就任した。


このケリーは2004年の民主党の大統領候補だった。ジョン・ケリーが民主党の大統領候補に指名されたときに夫人のテレサの経歴を見てオヤ? と思った。というのは、かつてお目にかかっていたからである。


テレサは再婚で、前の夫はペンシルバニア州選出の上院議員のヘンリー・ジョン・ハインツであった。ハインツはケチャップで有名な食品会社で、その創設者の孫に当たる。ハインツ社は、ペンシルバニア州最大の都市ピッツバーグの中心部に本社を構えている。共和党から出馬して下院議員を務めた後に1976年の上院議員の選挙で当選し、飛行機事故で亡くなる91年まで議席を守った。


38年生まれのハインツは、当時は最年少の上院議員であり、将来を期待されるアメリカ政界の星であった。また、若く、一族が裕福なのは、上院議員時代のジョン・F・ケネディを想起させた。こうした共通点から、ケネディ大統領と比較されていた。いわば共和党のケネディであった。


当時アメリカ留学中であった筆者は、国務省の留学生のための研修プログラムに参加し、ワシントンを訪れた。プログラムの一つに政治家との懇談会があった。現れたのがハインツ上院議員、そしてテレサ夫人もいっしょであった。


ハインツとはスイス留学中に出会ったという。初々しさの残る若妻であった。テレサの一族はポルトガル系で、父親はアフリカ南部のモザンビークで医者であった。テレサが口を開くと、アメリカ英語とは違う響きの英語が聞こえた。


政治家というのは、ほんとうに忙しく、つねに寝不足である。唯一ゆっくりできるのが日曜日の午前なのに、そんな時でも支持者からの電話で起こされることがある。ハインツ夫妻は留学生たちにそんな話をしてくれた。


>>次回 につづく


連載エッセイ「キャラバンサライ(第16回)『ケリー新国務長官のイラン人脈』」、『まなぶ』(2013年4月号)42~43ページ


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