イスラム政党と「スラム」政党


こうした格差と隔離と疎外の中で暮らし、政府に見捨てられた人々に救いの手を差しのべたのが、イスラム系の組織であった。トルコの公正発展党であり、エジプトのムスリム同胞団であった。あるいはパレスチナのハマスであった。


こうした組織は、それぞれの地域での最大の福祉機関であり、人道NGOである。人々はモスクに集まり、農村のコミュニティの暖かさの代わりを求めた。モスクを拠点とするイスラム組織が、その暖かさを提供した。


そもそも中東では、欧米式の教育を受けたエリートたちや、地方の地主たちを支持基盤として政党が結成された。大半の政党は、そのエリートたちや地主層のために活動してきた。そして、第2次世界大戦後に多くの国々で軍がクーデターによって実権を握った、やがて軍事政権が退場すると、後に軍の意向を反映した政党が残った。いずれも貧しい人々に訴えようとの姿勢の政党ではなかった。


その隙間を埋めるように、イスラム系の組織が庶民のために働きつづけた。たとえばトルコのイスタンブールやアンカラの周辺にゲジュコンドと呼ばれるスラムが広がっている。この広大な地域に生活する人々に最低限のサービスを提供しようとしていたのは、公正発展党の支持者たちであった。人口が増えれば増えるほど、農村から都市へ人々が移動すればするほど、そして人々が格差に直面すればするほど、さらに政府が無能であればあるほど、イスラム系組織の活動が人々の心をつかんだ。


こうした組織に支えられた政党は、じつはイスラム政党であると同時に貧民街の人々に支えられた「スラム」政党である。長年の人口爆発が、人口の都市への移動が、そして政府の無為無策が、イスラム系組織の拡大のための「肥沃な土壌」を用意してきた。今、この土壌に広く深く根を張ったイスラム政党が育ち始めた。


イスラム教徒は、貧しい人への施しは、天国への道を開くと信じている。「喜捨」という言葉が、その精神をよくあらわしている。イスラム系政党が、その看板に忠実であれば、これからも福祉活動によって支持層を広げるだろう。


イスラム政党の躍進のバネは格差である。中東の民主化がすすめば、当分の間はイスラム系政党の躍進がつづくだろう。そしてトルコの公正発展党のように、経済運営に手腕を発揮して繁栄をもたらすことができれば、長期政権の確立も夢ではないだろう。


-了-


『まなぶ』(2012年9月号)34~35ページに掲載された文章です。


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