2012年8月12日のイスラエルのメディアによると、約2年前の閣僚などの会合の際にネタニヤフ首相とバラク国防相が、イスラエル単独でのイラン攻撃を主張した。ところが当時の参謀総長のガビ・アシュケナジ、対外諜報機関モサドの長官のメーア・ダガン、そして占領地を含む国内諜報機関シンベトの長官のユバル・ディスキンの三人が、この案に反対した。


アシュケナジの議論に内務相のエリ・イシャイが説得されて、攻撃賛成から反対への態度を変えた。内閣で最初から反対していた人物としては、戦略問題担当相モシェ・ヤーロン、諜報機関担当相ダン・メリドール、無任所大臣ベニー・ベギンなどが知られている。このベギンは、ベギン元首相の子息である。軍と諜報の責任者たちの一致した反対を押し切ることは、首相と国防相にもできなかった。二人はイラン攻撃への他の閣僚の支持を得られなかった。


この会合の結果に立腹したバラク国防相は、「アシュケナジが参謀総長だったら6日戦争はおこらなかった」と発言したとされる。もちろん6日戦争は、1967年の第三次中東戦争である。この戦争は、イスラエルの奇襲攻撃で始まった。開戦の6日後にはイスラエルは、エジプト、シリア、ヨルダンを破り広大な土地を手に入れていた。当時の参謀総長は、暗殺されたラビン元首相であった。閣内での不一致の様子が報道されたのは今回が初めてである。


その後の2010年11月にモサドから引退したダガンは、「イラン攻撃ほど馬鹿げた計画は聞いたことがない」旨のメディアでの発言で物議をかもした。現在の参謀総長のベニー・ガンツもメディアに対してイスラエル単独でのイラン攻撃に反対を表明している。さらに副首相のシルバン・シャロームも、これからイランへの経済制裁が効果を現すだろうと発言して、この時点での軍事力の行使にクギをさしている。


イスラエルのイラン攻撃の決断が迫っているとの報道が流れる中で、このニュースが出てきたのは、興味深い。閣内での支持さえ首相と国防相は得ていないとのリークは、攻撃という決断をより政治的に困難にするだろう。

(8月14日、記)


畑中美樹氏の主宰するオンライン・ニュースレター『中東・エネルギー・フォーラム』に2012年8月21日(火)に掲載された文章です。


なるほどそうだったのか!!パレスチナとイスラエル
高橋 和夫
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