風刺画騒動はなぜ起きたか

(季刊『アラブ』 巻頭インタビュー)


昨年9月にデンマーク紙に掲載されたイスラーム教の預言者ムハンマドの風刺画に端を発した騒動が拡大している。風刺画は冒涜だとする怒りと、表現の自由を楯にとる反論は、宗教の聖域と自由奔放な文化のせめぎ合いに見える。さらに、騒動の背後に政治的な思惑も見え隠れする。問題の根底に何があるのか、国際政治学者の高橋和夫氏に聞いた。


-デンマークからこの問題が出てきたことに意外な気がしました。


高橋 デンマークは中東地域の人々にはあまり強く意識されていなかった国ですが、私がクウェートに住んでいたとき、デンマークから輸入されたチーズや牛乳はよく食べたり飲んだりして、中東とデンマークは冷蔵庫でつながっていると思ったものです。


デンマークのチーズ屋さんは今回の騒動とは関係ないのですが、ボイコットの対象にされました。酪農家たちにとっては、戦後、営々と中東市場を開拓してきた努力があっという間に崩れてしまったわけです。個人的にはかわいそうな気がします。


第2次世界大戦後すぐの時期にイスラーム教徒の移民が多かった英国やフランスに比べれば、デンマークへの移民が増えたのは比較的新しい現象といえます。イラクに派兵していることがとりたてて意識されることも少なかったし、人権尊重の先進地域である北欧の静かで小さなデンマークがテロの標的になるなどという危機感も希薄だったけれど、これからはそうもいきません。


宗教的社会と世俗的社会の対立
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-騒動の全体的な構図をどう見ますか。


高橋 一般的には、「イスラーム教は怖い」という反応や「イスラーム教とキリスト教の対立」といわれることが多いのですが、それとは異なる対立軸があると思います。


キリスト教やユダヤ教の非常に熱心な信仰者にとっても、宗教を揶揄することは受け入れられません。だから、軸にあるものは、イスラーム教とキリスト教の対立というより、宗教的な生活をする人々と、そういうものを無視した世俗的な生活をする人々の対立だと考えます。


「宗教と表現の自由の対立」という捉え方もできるでしょう。デンマークは表現の自由についてもっとも寛容な国のひとつといえるでしょう。しかしながら、米国では、星条旗に落書きをしたり傷つけたりすることは許されていません。表現の自由とはいっても制限があるのです。


ですから、「欧米社会=完全な表現の自由がある世界」と「イスラーム社会=まったく自由のない世界」が正面衝突しているのではないという気がします。


―欧米社会にも温度差がみられます。


高橋 興味深いのは、英国やキリスト教の影響力が強い米国は、今回のことではあまり「表現の自由派」ではなく、比較的、宗教を大切にするべきだという立場に傾いている点です。


なぜかというと、もちろん米国はたいへん宗教的な国であり、イスラーム世界が神聖なものに保守的だとすれば、米国はデンマークよりはるかにイスラーム世界に近いといえます。


英国には何百万人ものイスラーム教徒が暮らしていて、こうした問題には非常に敏感です。もう1つ、英国は1989年にサルマン・ラシュディの『悪魔の詩』事件を経験していますね。この本が預言者ムハンマドを冒涜しているとして抗議行動が起き、イランのホメイニ師が死刑のファトワ(宗教的見解)を出した事件です。その教訓としても、イスラーム教徒の感情に配慮しないといけないという発想があります。


-騒動が拡大した理由の1つには、表現の自由を楯に、当初の政治的な対応が適切でなかったこともあったようです。


高橋 風刺画を描いた人たちなどは、これほど大きな問題になるとは予想もしていなかったでしょう。実際、問題の風刺画をみると、デンマーク社会でも増加しているイスラーム教徒への恐れといった切羽詰った雰囲気や深刻さはない。どちらかというと軽いノリで描いたという感じを受けてしまうのです。


問題が起きた当初、デンマークのラスムセン首相は表現の自由には介入できないのだと言って、アラブ諸国の外交団が求めた話し合いに応じませんでした。


世界のイスラーム教徒が納得するかどうかは別ですが、少なくとも外交団は、政府が謝罪したり、新聞の発行を禁止したりすることなどできないという点は分かっているものです。また、政府が新聞を発禁すべきでもありません。しかし、重大に受け止めているという誠意ある態度を示すべきでした。言論活動は自由なのだから、外交団と会わないというのはだめですよ。


文化的乖離の潮流
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-それぞれの社会が育んできた生活の中で、宗教が社会の規範に及ぼす影響の大きさ、あるいは世俗の度合いが異なるのですね。


高橋 歴史的にみると、欧州が宗教色を薄くしていったのに対し、イスラーム世界にはイスラーム復興の流れがあって、全体的に両者の乖離が広がっています。


欧州の文化として象徴的なのはモンティ・パイソンです。1970年代の英国BBCのシリーズ番組で、神も王室も辛辣なブラック・ユーモアで笑い尽くして一世を風靡しました。このグループが作った映画『ライフ・オブ・ブライアン』(79年)は、ローマ軍に占領されている古代パレスチナを舞台にしたイエス・キリストのパロディです。モンティ・パイソンはあらゆるタブーに笑いで挑み、その後の潮流にも大きな影響を与えました。


ところが米国では最近、同性愛者の葬儀にまで乗りこんで「神は同性愛を禁じている。悔い改めよ」という人たちがいます。いくらなんでもやりすぎだと批判されていますが、やはり、社会のなかに神様がいるのだなあと思わせます。そういう意味では、全般的な流れとしても、欧州諸国より米国社会の方がイスラーム世界に近くなっているといえます。


欧州で世俗的な生活をしている人たちや無神論的な考え方をする人々には、信仰深い生活を送る人たちの感情を理解どころか想像すらできなくなっているのか、と思います。


それにしても、欧州社会が理解すべきなのは、多くのイスラーム教徒が貧しいという現実です。アフガニスタンでは、3度の食事も満足に食べられない生活のなかで、神を支えに生きている人がたくさんいます。その支えを土足で踏みにじってもよいものでしょうか。


こうした人々からすれば、欧州の人々は生きながら天国にいるようなものですよ。それを考えたら問題の風刺画はあまりに無神経です。


-89年の『悪魔の詩』問題と比べて、違いはありますか。


高橋 昨年12月にサウジアラビアのメッカで開かれたイスラーム諸国会議機構(OIC)の首脳会議が風刺画を非難する声明を出したあとは、抗議の地域的な広がりが大きく、速い。ソマリアや南アフリカなどでも暴動が起きています。インターネットを含めたメディアに乗って伝播しています。


『悪魔の詩』のときは、ホメイニ師という権威の影響力を思い知らされたのですが、今回は、むしろ「高速メディア時代の怒り」の広がりを感じます。


過激な抗議のメッセージを読む
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-今回の騒動は欧州から始まりましたが、9.11以降の流れのなかで顕著になった米国とアラブ諸国間の緊張関係との関連性はみられますか。


高橋 米国と英国が表現の自由を全面的に支持することに及び腰なのは、イスラーム世界に米英軍が展開されていて、人々をさらに刺激すれば、アフガニスタンやイラクにいる米英軍の危険が増すという意識もあるでしょう。


-中東諸国の反応からはどのようなことが見てとれますか。


高橋 リビアで起きた大使館への襲撃は、かつての宗主国イタリアのカルデロリ制度改革相が風刺画のTシャツを着たことへの反発でした。ローマなどを歩いていると、やはりリビア人が多く、両国には歴史的な関係があります。


そのほか、レバノン、シリア、イランで大使館への襲撃が起きています。イランやシリアは警察力が強い国であるだけに、政治的な側面を無視できません。


レバノンは、もちろんデモが暴徒化してしまったとも言えますが、長年実効支配してきた隣国のシリアは、「我々の軍隊がいないとレバノンは混乱しますよ」と言いたいのではないでしょうか。


そのシリアで起きている激しい抗議行動の背景には、ダマスカスから送られている別のメッセージがうかがえます。つまり、「米国は中東の民主化を進めよう、一党独裁はいけないと高圧的に言うけれど、政権がひっくり返ったらこういう過激な人たちが政権を握るのですよ、いったい米国はどちらがいいのですか」と。


また、シリア政府はこの問題を大きく扱うことで、国民に対しても、アサド大統領はアラウィ派とはいえ宗教を非常に尊重しているという姿勢を伝えることができます。


「米国が狙っているのは、アラウィ派のアサド政権を倒すことだけでなく、シリアの価値観そのものをひっくり返そうとしている、だから皆さん、アサド大統領のもとで団結しましょう」というわけです。


-イランが国際社会のなかで置かれている立場もきわめて厳しいです。


高橋 イランは、核問題で国際社会から袋だたきにされている状況です。イラン政府は犠牲も覚悟で核開発をしようとしているが、国民は核開発に興味があるわけではない。だから、圧力をかけ続ければ、国民と政府を切り離すことができるという発想が米国のネオコンなどにはあると思います。


それに対して、アフマディネジャド大統領が発しているメッセージは、国民はしっかり自分についてきている、というものです。そして国民には、米国が敵対視しているのは今の体制ではなく、イスラームそのものだ、ということを伝えているのだと思います。


アフマディネジャド大統領が目指す「ホメイニ師路線への回帰」ということと重ね合わせて考えると、ホメイニ師も米国大使館人質事件を最大限に利用してイランを急進化させました。今、それと同じゲームをしているように見えてきます。


ただ、今回の相手は直接には米国ではありません。米国大使館を襲撃したらたいへんなことになるけれど、デンマーク大使館なら襲撃しても空爆される心配はない、という面も否定できません。もちろん、イランの米国大使館は閉鎖されたままですが。


-出口は見えますか。


高橋 今回の騒動を通じて欧州や中東のイスラーム教徒のあいだから、自分たちは批判に対してもっと寛容であるべきだという人たちの意見が聞かれます。整然と怒りを示せばいいことで、欧州で生きていく限り仕方のないことであり、大使館に火を付けるなどとは論外だと言う人もいます。かなりの人がメディアに登場して発言しています。


このような意見は、反対側から見ればもちろん腐敗なのですが、ある意味で、欧州のイスラーム社会が成熟してきたともいえるでしょう。


暗い面も多いが、同時に社会の歩み寄りもあります。89年と比べると、宗教を過激派が独占的に解釈して死刑だ、というのは許されないという声が出ていて、時の流れを感じます。


日本で暮らすイスラーム教徒も増えています。4年ほど前に、安易な理由からコーランを破り捨てるという事件が起きました。日本で風刺画のような問題が生じたら、果たして我々の社会は誠意ある対応ができるでしょうか。今回の風刺画騒動は、決して他人事ではないのです。


(『季刊アラブ』日本アラブ協会発行 2006年 No.116 春 掲載)