「キリスト教とジャズという二つの逃げ場を作ってしまったのが、アメリカの黒人の問題だ」アーレ=アフマド


西洋の衝撃の最高段階は、西洋の価値観の受け入れである。帝国主義の犠牲者が加害者である帝国主義者を賛美し、その行動に驚愕し、感動し、その価値観で自らを評価しようとする。まさに魂を奪われた状態である。イランを代表する知識人であったジャラール・アーレ=アフマドは、こうした状態を『西洋かぶれ』という評論において痛烈に批判した。この評論の紹介を通じて輝かしい文明の伝承者としての地位を古代から誇ってきたイランが、いかに西洋の衝撃と向かいあってきたのかを考えたい。独自の文明の光を放ってきたイランが、西洋の文明と格闘する苦しみは、孤立した現象ではない。既に言及したエジプトや後の章で触れるトルコの経験とも、そして日本の体験とも通底している。西洋の衝撃の痛みが生んだ評論を共感と想像力をもって読み解きたい。

ネクタイとバービー人形


イランの政治家は1979年の革命後ネクタイをしなくなった。なぜであろうか。これはネクタイをすると「クラバティ」と呼ばれ「西洋かぶれ」と侮蔑されるからである。ペルシア語ではネクタイを「クラバット」と呼ぶ。フランス語からの外来語である。フランス語でクラバットは「クロアチア人」という意味もある。ネクタイをクラバットと呼ぶのは、一説によるとクロアチアの騎兵が首に布を巻いていたからだと言う。妻や恋人が出陣する兵士の無事と軍功を祈って首にスカーフを巻いて送り出す習慣があり、それを見たフランス人がファッションに取り入れた。アドリア海を挟んでイタリアに向かい合うクロアチアは風光明媚な国である。冷戦後の1991年に独立宣言を発し、旧ユーゴスラビアの解体の引き金を引いた国でもある。またクロアチアは、第二次世界大戦中に、そして冷戦後に民族浄化の舞台ともなった。


話題をクロアチアからイランに戻すとイランの国語のペルシア語では名詞に「ィ」を付けると形容詞になる。クラバットに「ィ」が付いてクラバティになると、ネクタイを締めた「西洋かぶれの」というニュアンスになる。となると西洋化に対する反発の強いイスラム体制下では、ネクタイを締めるのは、政治的には本当に自分の首を絞める行為になりかねない。


もう一つイランで排斥されている物を挙げるとアメリカのバービー人形がある。髪を出し、さらに悪いのは胸を強調し脚を露出した人形はイスラム的価値に反するとして、イスラム政権はイラン製の人形をイラン版の「バービー」人形として推奨している。こちらの方は、イスラム国家に相応しく、髪や体の線を隠した伝統的な衣装をまとっている。


このように1979年に成立したイスラム革命体制下では、西洋は他者であり異物であり、徹底的な排斥の対象とされてきた。革命以前の王制下での「近代化」が西洋の模倣に走り過ぎたとの反省と反動が革命体制下で起こったわけだ。


既に王制の時代に盲目的な西洋の模倣を批判する論評が書かれていた。代表的な作品にジャラール・アーレ=アフマド(1923~1969)の『ガルブザデギー(西洋かぶれ)』がある。本章では、ガルブザデギーを例に取りながらイランにおける西洋の衝撃の意味を考えたい。ガルブザデギーの内容を論じる前に、その著者であるアーレ=アフマドを紹介しよう。


>>次回、「ジャラール・アーレ=アフマド 」に続く


* 放送大学では2009年4月放送開始予定のラジオ科目『異文化の交流と共存』を制作中です。大学院レベルの科目です。高橋は、その中で以下の4章を担当いたします。第2回『アメリカのイスラム:マルコムXの旅』、第3回『ムスリム同胞団:スエズ運河のほとりで生まれたイスラム復興運動』、第9回『西洋の衝撃/イランのジャラール・アーレ=アフマドの『西洋かぶれ』を例として』、第10回「トルコの苦悩/民主主義、民族主義、世俗主義」
これは第9回のラジオ教材を補完するテキスト(印刷教材)の草稿です。