2008年5月で、パレスチナ人が難民となって60年が過ぎました。現在の国際政治、とりわけアメリカと中東世界の関係から、この「60年目のパレスチナ難民問題」をどう見るべきなのか、5月25日築地本願寺での講演会で放送大学教授の高橋和夫さんにお話いただきました。その要旨をご紹介します。


中東情勢を読む


今の中東の現状をどう見るか? 大雑把に言って、イスラエルの優位を認めた上で今の現状を固定化しよう、というアメリカが一方にいます。それに異議を申し立てるパレスチナのハマースやジハード、またレバノンのシーア派ヒズボラとその後ろ盾のイランというのが他方にいます。そして両方が力一杯綱引きをしているというのが大きな構図だと思っています。


アメリカとイランが直接、表面上でも水面下でも力比べをやっている場所がイラクです。アメリカ軍がイラクに駐留していますが、イランはイラク国内のシーア派とかクルド人とかと長年の付き合いを通じた影響力を持っている。


ではこの綱引きの中でパレスチナ情勢はどうか。私はパレスチナ情勢に関しては悲観的です。パレスチナで和平が動くという条件が基本的にないのです。それはなぜか? 和平のためには痛みを伴った双方の譲歩が必要なんですが、和平の当事者の一方であるイスラエルは、オルメルト首相が金銭授受のスキャンダルで、しょっちゅう警察から聴取をうけている状況で、こうした人物が国民を説得して、和平に動けるとは想像もつかないわけです。


パレスチナ問題の解決はイスラエルとパレスチナの「二国」の共存とされました。ところが今はパレスチナ側はファタハが支配するヨルダン西岸とハマースの支配するガザの「二国」が存在する、という皮肉な状況になっています。パレスチナ側も統一戦線を組んでイスラエルに強く交渉しようという雰囲気がありません。


パレスチナ和平の仲介を期待されてきたのに、ブッシュさんは7年間何もしなかったわけで、最後になってラスト・スパートで、和平を一生懸命やりますと、やめる前にパレスチナ国家を作りますと言っているんですが、「ちょっと無理」という感じです。


少し詳しく見ていくと、2006年夏、イスラエル軍が猛攻撃を加えてヒズボラを潰そうとして、レバノンは大変な打撃を受けました。ヒズボラを倒すことはできなくて、ヒズボラが客観的に見て勝ったわけです。最近レバノンでは内戦の危機が心配されましたが、レバノンの各派は、ヒズボラが強いんだという事実を認めて、内戦を中止することで落着したんだと解釈しています。それがレバノンの情勢です。


最近イスラエルとシリアがトルコを仲介にした秘密交渉をしていたという事が表に出ました。イスラエル側からのリークですが、正直言ってオルメルト首相がシリアの望む形でゴラン高原を全部返す、イスラエルがゴラン高原を全部返しつつ世間も納得する形で、和平が進捗するとは考えにくいです。 なぜこの時期にイスラエル側は「和平が進んでいますよ」と言ったのか?オルメルトが生きのびるために「俺たち仕事してるんだよ」というのを訴えんがために、わざわざ漏らしたと読むしか解釈のしようがないと思います。


アフガニスタンとイラク


アフガニスタンでは、2001年にアメリカがタリバン政権を倒して、アルカイダを追っ払って、カルザイを据えて「ハッピー・エンド」になったような感じでした。しかし、この2、3年「イラク化」して、テロが相次いでいます。アフガニスタンで自爆というのはこれまでなかったんです。すでにカブール市内の高級ホテルでさえ危ないと言われて、状況はどんどん悪くなっています。またタリバンはアフガニスタン南部、そしてパキスタン北部で再結集、再訓練をして再生しています。


中部と北部はアメリカ軍、NATO軍、中央政府がなんとか抑えているふりはできるけど、政府軍の支配を離れている部分がだんだん広がってきている。南部を制圧するのは大変な犠牲を伴うわけです。兵力が足りないんです。今アメリカはNATOに「もっと出せ、もっと出せ」と言っているわけですが、どの国も自国の若者をアフガニスタンに送り込んだら犠牲が出るのは目に見えていますから慎重という状況にあります。


イラクは2005年あたりから内戦状況です。アメリカ政府は内戦という言葉を嫌います。内戦が起こっているのを認めると、失敗を認めることになるからです。内戦(the Civil War)というとアメリカでは南北戦争を意味します。アメリカの歴史の中で一番たくさん人が死んだのは、第一次世界大戦でも第二次世界大戦でもなく、南北戦争なんです。だからアメリカ人にとって戦争の原体験である「あのひどい南北戦争」を思い出すから、アメリカは内戦という言葉はあまり使いたくない。


イラクというのはもはや一つの国ではなくて、三つの国に別れていて、北部のクルド人の国と中部のスンニ派の国と南部のシーア派の三つの国に別れている、と考えるほうが、理解しやすいわけです。北部のクルド人の地域というのは、90年代湾岸戦争の後から実質独立状態だったので、イラク開戦後着々と地歩を固めつつあるという状況です。


このスンニ派、シーア派、クルドの地域という三つの国に別れつつあるという状況を受けて、2007年1月にブッシュさんが新しい政策を打ち出した。新しいイラク政策のポイントは二つです。一つはあと3万人ほど兵力増派するというもの。もう一つは、スンニ派対策です。なんでイラクが落ち着かないかというと、一番不安定な中部は、住民はスンニ派なのに、それをシーア派の中央政府が支配しようとしていたからです。


新しい政策のポイントは、失業しているスンニ派の元兵士を武装させてスンニ派に自治をやらせるということです。ようするにイラクが三つに分裂しているという現実を受け入れて、スンニ派にスンニ派を取り締まらせる。


結果はどうなっているか。新しいイラク政策後、一時的に米軍の犠牲は増えたんですけど、その後には劇的に減少した。ということは、スンニ派をして、自治をやらせるというのが成功しているということです。しかし、これでイラクが安定するのか?分かりません。いまは単に身を低くして、スンニ派はスンニ派で軍備を整えて、シーア派はシーア派で軍備を整えて、アメリカ軍がいなくなったら・・・と思っているのかもしれない。


>>次回、「イランを巡る状況 」に続く



*2008年5月25日(日)に築地本願寺講堂で行った講演の録音を文書化した内容です。話し言葉を文書にしましたので、書き言葉としては、不満な文体です。
「激動の中東情勢とアメリカ大統領選挙」
NPO特定法人パレスチナ子供のキャンペーン主催
シンポジウム『60年目のパレスチナ難民-2008年のガザとレバノン-』