2007年に公開された『スリーハンドレッド』という映画を見た。紀元前480年、迫り来るアケメネス朝ペルシア帝国の大軍をテルモピレーと言う地点で少数のスパルタ軍が迎え撃ち全滅した。この時に勇敢に戦って死んで行った300人のスパルタの勇士の物語である。


『グラディエーター』や『トロイ』などの古代をテーマにした最近の映画ではコンピューター・グラフィックスを駆使して壮大な画面を作り出している。先ごろ亡くなったチャールストン・ヘストンが演じた『ベンハー』などのように多数のエキストラを動員する必要がなくなった。エキストラとしてチャンスをうかがっていたスターの卵たちには厳しい現実だろうか。スペクタクル映画の制作費は大幅に低下しただろう。スリーハンドレッドでもコンピューターが凄まじい戦闘場面を描き出している。


娯楽映画としては、良い。だが自由を守るスパルタと専制のペルシアという余りに分かりやすい構図が気にかかる。スパルタを初めとするギリシアの諸都市の「民主制」は多数の奴隷労働者によって経済的に支えられていたという事実を無視しているからである。古代ギリシアの民主制の賛歌が往々にして見落としている点である。


またスパルタ人は勇敢な人々として描かれているのに、ペルシア軍の方は人間として描かれていない。兵士の大半はサルのようなお面を被っていて、『猿の惑星』からのゲストのように見える。またペルシアのクセルクセス王の衣装も奇妙である。古代遺跡のレリーフなどから、ペルシア人の当時の衣装は、かなり正確に再現できるはずであるが、この映画には時代考証のカケラもない。この映画をイランのアフマドネジャド大統領が批判したと報道されているが、イランの大統領でなくとも引っかかりを覚えるだろう。


いかに娯楽映画とは言え、ペルシア人つまり現代のイラン人の祖先を人間として描かないのには懸念が湧いて来る。というのはイランの核開発を巡りアメリカとイランの関係が緊張しており、アメリカがイランを爆撃するのではないかとのシナリオが語られているからである。この映画で描かれたような「群れ」であれば、攻撃しても構わないとの心理を人々の間に準備するのでは、と心配になる。人間を殺すには誰にも躊躇(ちゅうちょ)がある。しかし、非人間化された敵ならば爆撃が可能になるからである。楽しめない娯楽映画であった。