アメリカは白人の国だ
白人が盗んだ国だ

黒人を誘拐して働かせてできた
白人の国だ

豊かな国だ 白人のための
黒人のためじゃない

強い国だ 白人のための
黒人のためじゃない

自由 正義 平等の原則の国だ
だが 現在でも 黒人には自由などない

黒人には正義などない
黒人には平等などない

なぜなら
ここは白人の国だからだ

           マルコムX

西洋との出会いは、非西洋世界から見れば衝撃であった。アフリカでもイスラム世界でも、そして日本でも、この衝撃をいかに受け止めるかが、近現代史の最大の課題であった。まず本章ではアフリカ大陸で拉致され、アメリカ大陸に奴隷として移動させられた人々の子孫の間に起こったネーション・オブ・イスラムという教団を紹介したい。キリスト教から改宗したマルコムXは、この組織のスポークスマンであった。しかし、マルコムはやがて教団の白人を悪魔視する教えから離れ、主流のイスラムに再改宗する。この人物の生涯の軌跡を追いながら、アメリカのイスラムの風景の変遷を概観しよう。本章は、イスラムとアメリカを衝突すべき二つの異文化と見なす世界観への反論である。この場合には異文明という表現がより適切であろうか、アメリカの中にイスラムが存在する現実に光を当てたい。

ぶれた写真


オードリー・ヘップバーンがフレッド・アステアと競演した1957年公開の映画『パリの恋人』(原題Funny Face)で、アステアが演じた写真家のモデルは有名な写真家のリチャード・アベドン(1923~2004)と言われている。アベドンは、宇多田ヒカルの1999年にリリースした『ADDICTED TO YOU』のジャケット用の写真の撮影で日本の若い層にも知られている。このアベドンはオードリー・ヘップバーンを始め多くの著名人のポートレートを撮影しているが、その一人にマルコムXがいる。1963年3月27日の日付のあるマルコムXの写真は、焦点が定まっていない。不思議な写真である。シャッターを押した瞬間に被写体のマルコムXが動いたのか、あるいはカメラを持つ手が震えたのか。しかし、ぶれた写真が、かえってマルコムXという人物を良く表現しているとも思える。と言うのはマルコムXが、この撮影の後に思想的な変化を経験するからである。アベドンは、はからずも焦点の定まらない写真で変化の前と後の両方のマルコムXの心象風景を写し取ったのだろうか。


このマルコムXとは何者なのだろうか。マルコムXが世に出たのは1950年代末である。そして世を去ったのは1965年であった。注目を浴びた時間は短かった。偉大な人物が後世に与える影響力は、必ずしも活動期間の長さとは比例しない。明治維新の歴史を知る者ならば、維新を推進した長州の人材を輩出した松下村塾で吉田松陰が実際に教鞭を取った時間が非常に短かった事実を知っているだろう。実質一年余りの時間の内に、高杉晋作、伊藤博文、山縣有朋らの人々が松下村塾を通り過ぎた。同じようにマルコムXがアメリカ史を走りぬけた時間も一瞬とも言える。しかし、闇夜を引き裂く稲妻のように、その印象は強烈で未だに人々の心に鮮明に残っている。


マルコムXはアメリカの黒人の間に信者を得た「ネーション・オブ・イスラム」という組織のスポークスマンとして頭角を現した。ネーション・オブ・イスラム(Nation of Islam)とは何か。その起源は、デトロイトで布教を始めたW.D.ファードと呼ばれた人物に発している。まだ1929年に始まった大恐慌の最中の1930年であった。ファードはイスラムこそ黒人の宗教であると主張し、黒人が黒人としての自尊心を持つように説いた。そしてネーション・オブ・イスラムという組織を創始した。1934年にその後継者となったイライジャ・ムハンマドが、組織を拡大した。イスラムの預言者の名前はモハメッド、マホメットなど様々にカタカナに転記されてきた。ここではムハンマドという表記を使おう。なお手元のアラビア語の辞書によればムハンマドは「賞賛すべき」との意である。


ネーション・オブ・イスラムの教えは、白人を悪魔と規定し、黒人のアメリカ社会への統合に反対し、黒人の経済的な自立を求めた。しかも、やがてハルマゲドン(善と悪との最終的な戦い)が起こり、悪である白人の支配が終わると説いた。


この教えは、多くの黒人の心を捉えた。その中にマルコムXがいた。マルコムXの生涯については、アレックス・ヘイリィの協力を得て執筆された自叙伝に詳しい。この自叙伝に沿ってマルコムXの生涯を足早に見ておこう。なおアレックス・ヘイリィは後に『ルーツ』というタイトルのベスト・セラーを著す黒人作家である。また、この自叙伝に基づいた黒人のスパイク・リー監督のマルコムXというタイトルの映画が1992年に公開された。


マルコムXは、マルコム・リトルとしてネブラスカ州オマハに1925年に生まれている。父親はプロテスタント洗礼派の牧師で、黒人はアフリカに戻るべきとの運動にかかわっていた。母は西インド諸島のグレナダの出身で白人との混血であった。


幼児に父が白人によって殺害され、マルコムは極貧の中で暮らした。学校での成績の良かったマルコムは将来は弁護士にと夢見る少年であった。だが人種差別の壁が、この夢を打ち砕く。学校の白人の教師は、マルコムが優秀であったにもかかわらず、現実的にならねばならない。黒人は弁護士にはなれない。と諭(さと)すのであった。


マルコムは、やがて犯罪に走るようになる。マルコムはボストンやニューヨークへと生活空間を移し、麻薬取引などの犯罪で名をはせるようになる。そして1946年に刑務所に入り、そこでネーション・オブ・イスラムの教えに触れる。1948年イスラムに改宗し、さらに1952年にはマルコム・リトルからマルコムXに改名した。



>>次回、「X 」に続く


* 放送大学では2009年4月放送開始予定のラジオ科目『異文化の交流と共存』を制作中です。大学院レベルの科目です。高橋は、その中で以下の4章を担当いたします。第2回『アメリカのイスラム:マルコムXの旅』、第3回『ムスリム同胞団:スエズ運河のほとりで生まれたイスラム復興運動』、第9回『西洋の衝撃/イランのジャラール・アーレ=アフマドの『西洋かぶれ』を例として』、第10回「トルコの苦悩/民主主義、民族主義、世俗主義」
これは第2回のラジオ教材を補完するテキスト(印刷教材)の草稿です。