2.論文のパターン


論文とは文章によって人類の知識の総体に新たな知識を加える行為だとの振りかぶった定義を前述した。もちろん論文だけが知識の総体を増加させる作業ではないが、少なくとも論文の執筆はその一翼を担うべきである。それでは、いかにして担うのだろうか。これにはいくつかのパターンがある。すべての論文がこうしたパターンに、きれいに分類できる分けではない。しかし、その典型を押さえておくことは有益である。


●穴埋め型

まず穴埋め型と筆者が勝手に呼んでいるパターンがある。これは知識の空白部分を埋める努力である。つまり早い話しが人の全くやっていないテーマを選択する場合である。日米関係の本ならば研究ならば論文ならば、掃いて捨てるほど存在する。新たに日米関係について研究して新しさを出すことは難しいだろう。しかし、たとえば日本とアイスランド関係について論文を書けば、それは新しい。その意義の評価はともかくとしても、人類の知識の穴を埋める作業であることは間違い。先行研究にこだわる必要のないのも嬉しい。しかし、このパターンの論文を執筆する場合には、身の引き締まる思いになる。なぜならば、自らの論文が先行研究となり将来には批判の対象となるからだ。


●揚げ足取り型

これに対して、これまでの研究に新しい解釈を加えるのが揚げ足取り型の論文である。もちろん、この表現も筆者の勝手な用法であり、同業者の支持を受けているわけではない。つまり既存の研究を取り上げ、その欠点を指摘し、新しい解釈を提示するのである。これまでの利用可能だった資料を再読して新しい解釈を提示する場合もあるだろうし、新たに利用可能になった資料を使って、これまでの理解に修正を加える場合もあるだろう。歴史の研究などによく見られるケースである。


たとえば、ペレストロイカ以降にソ連(ロシア)史について膨大な資料が新たに公開されている。それによって新しい歴史像の構築が進んでいる。例をあげて話を進めよう。1941年6月ドイツ軍は、ソ連に侵攻し、ソ連軍に対して大打撃を与えた。地雷の敷設など防御のための工夫のなされていなかった国境地帯を越えて、ナイフでバターを切るようにと表現された進撃を成功させた。冬になってソ連軍の反撃が功を奏するまで続く快進撃であった。この緒戦におけるソ連軍の敗北はスターリンがヒトラーを信じきっており、油断していたからであるとの解釈が受け入れられてきた。


しかし、1990年代に入って公開された資料が新たな側面を照らし出すようになった。国境地帯をスターリンが要塞化していなかったのは、ヒトラーを信じていたからではなく、ソ連がドイツに攻撃をかける準備を進めていたからである。ソ連軍が前進する際に邪魔になるので地雷の敷設などは行われていなかった。しかしスターリンの失敗は、イギリスの抵抗が続いている時期にドイツがソ連への攻撃を始めるとは予想しなかった点にある。国境地帯でソ連側が多数の兵士と膨大な軍需物資を失ったのは、来るべき攻撃に備えてスターリンが、兵士と物資の配備を命じていたからである。


つまりスターリンは、ヒトラーを信じていたわけではなかった。裏切る前に裏切られたのだ。そうした深い陰影の新しい歴史像が浮かび上がってきている。この解釈をめぐる議論は、まだ始まったばかりで決着したとはいえない。しかし、新しい資料が新しい解釈を生み出した例である。


●テスト型

ある命題を取り上げて、それを個々のケースに適応して、その命題が有効であるかどうかを検証し、その結果を論述するパターンである。たとえば「企業が外国に工場を立地するのは、安い賃金を求めてである」との命題があるとしよう。この命題をテストするには、ある企業が外国に進出した例を調査してみると良い。仮に企業Aがアメリカに進出した例を研究し、その動機が安い賃金であったかどうかを調べてみると良い。もし、そうなら、この命題の正しさが検証されたことになる。もし、そうでなければ、この命題つまり仮説は、企業Aのアメリカ進出の場合には当てはまらないとの結論になる。その結果、この仮説は修正を迫られる。「企業の多国籍化の動機が安い賃金である場合は、発展途上国に進出する場合に限られる」などの命題の修正の提案が可能になるかも知れない。


これは単純化した例である。要は仮説の実例での検証が、このパターンの論文の狙いである。結果として、これまでの定説を補強するだけに終わる場合もある。しかし、定説を覆(くつがえ)したり、あるいは修正したりする場合もある。前述の「揚げ足取り型」の論文の一変種とも分類できよう。また、これまで事例研究のなかったテーマを取り上げるとするならば、「穴埋め型」の論文とも分類できよう。論文を必ずしも綺麗にパターンに分類できない場合が多いとは、そういう意味である。


>>次回、「3.論文の構成 」に続く


*放送大学では2009年度放送開始の『市民と社会を生きるために~実践のすすめ~』というラジオ番組を制作中です。その中で高橋は第12回「論文の書き方」と第13回「プレゼンテーション」を担当予定です。ここにアップしたのは放送教材を補完するテキスト(印刷教材)の草稿です。